「ひまわり (絵画)」の版間の差分

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| [[ファイル: Vincent_Willem_van_Gogh_127.jpg|160px]] || F454 || 15本 || 1888年8月 || [[ナショナルギャラリー (ロンドン)|ナショナルギャラリー]]([[ロンドン]]) || ファン・ゴッホ自身が気に入った「12本のひまわり」(ミュンヘン作品)をもとに制作した4番目の作品とされる。
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| [[ファイル: Van_Gogh_Vase_with_Fifteen_Sunflowers.jpg|160px]] || F457 || 15本 || 1888年12月-1889年1月 || [[東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館]]([[東京都|東京]])|| 1888年12月の「耳切り事件」直前に描かれたとする説もある。[[1987年]]3月に[[安田火災海上]](現・[[損害保険ジャパン日本興亜]])が、ロンドンの[[クリスティーズ]]で2250万ポンド(当時の[[為替レート]]で約53億[[円 (通貨)|円]])で落札した。(最終的な購入金額は手数料込みで約58億円)。当時の代表取締役であった[[後藤康男]]がバブル期とはいえ無理をして購入を推進した理由は、先々代の社長時代から世界的な名画が不在であった東郷青児美術館は、入館者が少なすぎる事が社内で問題視されていたからである。[[1997年]]([[平成]]9年)[[10月]]に英紙『[[サンデー・タイムズ]]』の報道で、[[エミール・シェフネッケル]]による模作であるとする疑惑が持たれたが、[[1999年]](平成11年)の研究調査によりゴッホの真筆と断定された。以降も[[贋作]]説が囁かれたものの<ref>小林英樹著 ゴッホの復活 ISBN 9784795847729</ref>、ゴッホ美術館の学芸員・修復技官らが再度調査を行った結果、やはり真筆であると報告されている<ref>朽木ゆり子『ゴッホのひまわり 全点謎解きの旅』集英社</ref>。 
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| [[ファイル:Van_Gogh_Vase_with_Fifteen_Sunflowers_Amsterdam.jpg|160px]] || F458 || 15本 || 1889年1月 || [[ゴッホ美術館|ファン・ゴッホ美術館]]([[アムステルダム]]) ||ファン・ゴッホが病院から「黄色い家」に戻って、東京作品を模写したものと考えられている。