「阿部正蔵」の版間の差分

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[[天保]]12年([[1841年]])6月24日に[[天保の改革]]時の[[大坂町奉行|大坂西町奉行]]となった。近年物価が騰貴した原因は、[[株仲間|株仲間解散令]]により大坂への物資廻送量の減に起因するとし、問屋商人を通した流通統制強化の提言を行った。[[天保]]14年([[1843年]])2月24日江戸北町奉行となり、同年10月1日に[[小姓組]]番頭に転じた。
 
長男の[[阿部正定]]は宗家([[白河藩]])を継いだため、次男の[[阿部正外]]が父の跡を継いだが、後に幕命で正外が宗家(白河藩)を継ぎ[[老中]]となった。三男[[阿部邦之助]]は曾根家に養子入りしていたが、兄の正外が宗家を相続するに際して実家に戻りこれを相続した。邦之助は[[明治維新]]後に[[沼津兵学校]]創始者の1人となっている。
 
== 参考文献 ==
*幕末維新人名事典(宮崎十三八・安岡昭男編  新人物往来社)
*大阪市史 第2巻