「清和政策研究会」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
65行目:
 
=== 森派 ===
森喜朗が三塚の後継会長となった1998年末に、かつての清和会にちなんで'''清和政策研究会'''へと改称した。[[2000年]]に森が首相に就任、福田以来の総裁派閥となった。森が慣例に従い派閥を一時的に離脱したため、小泉純一郎が2000年4月から清和政策研究会会長に就任し[[森内閣]]を支えた。派閥を継承した森は同じく発言力を増しつつあった小泉と組み、混乱していた派内を掌握した。ただし、森内閣は基本的には小渕前内閣の骨格を継承しており、[[村上正邦]]や[[青木幹雄]]といった前内閣を支えた他派閥の実力者に依存する政権であった。なお、小泉が会長を務めていた期間も呼称は森派のままであった。
 
森の退陣後に小泉が首相に就任、森は派閥の会長に復帰した。小泉は派閥を恒久的に離脱したため、会長総裁分離が定着した。小泉は最大派閥であった[[平成研究会#橋本派時代|橋本派]]を「[[抵抗勢力]]」と名指しする中、[[参議院]]の協力を得て、非主流派を反主流派に移行させなかった。その結果、[[2005年]]の[[第44回衆議院議員総選挙|衆議院選挙]]で党内第一派閥へと躍り出て、「'''清和会支配'''」に移行した。