「社会ファシズム論」の版間の差分

 
==概要==
社会ファシズム論とは、社会民主主義とファシズムを双子として同一視する見解である。こうした見解が生じた背景としては、[[ドイツ革命]]直後の[[ドイツ社会民主党]]と[[ドイツ共産党]]の路線対立や、[[ネップ]](新経済政策)後に左傾する[[ソビエト連邦|ソ連]]内部において、路線対立が先鋭化していたことなどが挙げられる。[[1924年]]9月には[[ヨシフ・スターリン]]が「社会民主主義とファシズムは対立物ではなく、双生児である」と定式化し、[[1928年]]の第6回[[コミンテルン]]執行委員会総会は、社会ファシズム論を明示した<ref>[http://members.jcom.home.ne.jp/nokato/data5.htm 革命の遊牧民 トロツキー - 宮内広利]</ref>。
 
この路線に従ってドイツ共産党はドイツ社会民主党を敵視し、そのために議会では反社会民主党的な行動を繰り返した。ドイツ共産党の[[警備隊|武装組織]]「[[赤色戦線戦士同盟]]」が社会民主党党員を襲撃したり、「ヴァイマル政府反対」を掲げナチスの労働者組織と共闘してストライキを行ったりした。とりわけ1929年5月1日に[[ベルリン]]で行われた共産党の非合法デモを社民党政権が取り締まったことに端を発する[[血のメーデー事件 (ドイツ)|血のメーデー事件]](31名死亡、数百人負傷、1200人逮捕という惨事になった)で社共対立は絶頂に達した<ref>{{harvnb|成瀬治|山田欣吾|木村靖二|1997|p=166}}, {{harvnb|阿部良男|2001|p=154}}, {{harvnb|モムゼン|2001|p=221}}</ref>。