「間寛平」の版間の差分

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* [[1970年]] - 喫茶店でアルバイトをしていた時に、店主の[[日限萬里子]]の紹介により[[吉本興業]]に移籍、[[吉本新喜劇]]の研究生になり[[花紀京]]の付き人になる。同期に[[桂文珍]]らがいる<ref name="hanzai"/>。
* [[1974年]] - [[木村進]]とのコンビで入団から4年、24歳にして[[吉本新喜劇]]の[[座長]]に昇格<ref name="hanzai"/>。
** 実質的には[[1973年]][[10月]]より[[平参平]]班では平・木村、そして間の「三枚看板座長制」という形を採っており(ただし、正式にその班を統率し、脚本・演出内容にも強い発言力を有するという意味での座長には昇格していない)、平の座長勇退→専科入りを機に[[1974年]][[4月]]より正式に木村とのコンビで座長へと正式昇格。そして[[1976年]][[4月]]からは木村、寛平それぞれ別の班を統率することとなった。
* [[1975年]] - 『ひらけ!チューリップ』で歌手デビュー<ref name="hanzai"/>。100万枚のセールスを記録<ref>[http://www2u.biglobe.ne.jp/~comefx99/masateikyou.htm]</ref><ref name="hanzai"/>。[[1976年]]には同じタイトルの日活ロマンポルノに主演するなど活躍した<ref name="hanzai"/>。
* [[1978年]] - 同じ新喜劇の団員だった光代夫人と結婚<ref name="hanzai"/>。
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* [[2008年]] - 12月17日に大阪をスタートして2年以上かけてマラソンとヨットで世界一周する「[[アースマラソン]]」に挑戦する<ref name="hanzai"/>。この間、日本には一度も帰国しない予定なのでレギュラー番組は降板した。
* [[2011年]] - 1月4日、福岡港に上陸。
* [[2011年]] - 1月21日、2年1か月のアースマラソン4万1000kmにも及ぶ長い旅を終え、午後7時43分に[[大阪城音楽堂]]を第一終着地としてゴールインし親交ある芸人と一般視聴者に祝福された。その後最終終着地、[[なんばグランド花月]] ([[NGK]]) に午後8時40分ゴールインし、先輩や後輩芸人、家族に囲まれて祝福された。この様子は2時間生放送特番を組まれた。番組のしめ言葉は本人とNGK内にいた全員での「アメマ」であった。
* [[2016年]] - 7月20日、若手芸人育成を目的として、「'''劇団間座'''」を立ち上げ<ref>{{cite news|url=http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160720-OHT1T50178.html|title=間寛平、67歳で演劇集団「劇団間座」設立!テーマは「虫」|newspaper=スポーツ報知|date=2016-07-20|accessdate=2016-10-21}}</ref>、12月24日・25日に旗揚げ公演『恋の虫』を上演<ref name=natalie161020>{{cite news|url=http://natalie.mu/stage/news/206289|title=寛平の劇団旗揚げ公演「恋の虫」でNON STYLE石田明がミュージカル初脚本|newspaper=ステージナタリー|date=2016-10-21|accessdate=2016-10-21}}</ref>。