「安藤元博」の版間の差分

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===プロ入り後===
{{by|1962年}}に[[北海道日本ハムファイターズ|東映フライヤーズ]]に入団。同年はルーキーながら13勝8敗、防御率2.32という好成績を残し、リーグ優勝に貢献した。しかし同じ年に入団した[[尾崎行雄 (野球)|尾崎行雄]]も20勝を挙げる大活躍をしたため、[[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]は尾崎が選出された。[[阪神タイガース]]との[[1962年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では3試合に登板。第4戦では[[小山正明]]と投げ合い完投勝利。第6戦でも先発し好投、2勝目を挙げる。シリーズ最優秀投手賞を受賞するなどチーム初の日本一の立役者となった。しかし翌{{by|1963年}}は僅か序盤で2完封を含む3勝を挙げるが、その後は不調が続き3勝7敗に低迷どまる。{{by|1964年}}は公式戦での登板機会がなく、{{by|1965年}}より[[読売ジャイアンツ]]に移籍する。[[6月25日]]に同年初先発、[[東京ヤクルトスワローズ|サンケイスワローズ]]から[[ントラル・リーグ|セ・リーグ]]初勝利を記録するが、この1勝のみに終わり同年限りで引退する。
 
引退後は食品会社経営を経て、中堅ゼネコンの[[真柄建設]]東京事業部営業[[部長]]を務めていた。[[1996年]][[6月17日]]に[[悪性リンパ腫]]のため[[東京都]][[文京区]]の[[日本医科大学付属病院]]で死去。