「聖母教会 (ドレスデン)」の版間の差分

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聖母教会はドレスデンの輪郭から消え、黒ずんだ石材は、こんにち[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]として知られる[[共産主義]]政権の統治下で、45年間市の中心部に積まれたまま放置された。第二次世界大戦の終戦直後、ドレスデン在住者は教会の破片の石を回収し、将来の復元に用いるために番号を振った。またそうした再生に向けた市民の感情に配慮した当局は、駐車場を作るために廃墟を片付けるという考えを思い留まるのである。
 
1982年、廃墟は東ドイツの体制に対する平和裏な抗議行動と結びついた[[平和運動]]の場となり始めた。爆撃記念日には、花と蝋燭を持った400人のドレスデン市民が静かに廃墟へやってきたが<ref>{{Cite web |url = https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/18/030100005/032800003/?P=1 |title = 完全崩壊からほぼ忠実に蘇ったドレスデンの教会 |publisher = ナショナル ジオグラフィック日本版 |accessdate = 2018-09-17 }}</ref>、これは東ドイツにおいて高まりつつあった市民権運動の一部となった。1989年までにドレスデンや[[ライプツィヒ]]、その他の地域の抗議運動者の数は何万人にもなり、東西ドイツを隔てる[[ベルリンの壁崩壊|ベルリンの壁は崩壊]]した。これにより[[ドイツ再統一]]への道が開いたのである。
 
== 再建と資金調達の促進 ==