「堀江薫雄」の版間の差分

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==来歴==
[[1903年]][[1月28日]]、[[徳島県]][[麻植郡]][[鴨島町]]に生まれる。[[徳島県立城南高等学校|旧制徳島中学校]]、[[第五高等学校 (旧制)| 第五高等学校]]を経て[[1928年]]、[[東京大学|東京帝国大学]][[法学部]][[政治学科]]卒業。卒業後、[[横浜正金銀行]]に入行、海外各支店に勤務した。終戦後、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の命令により、[[横浜正金銀行]]改組室長に任命されて整理にあたり、[[東京銀行]]を創立した。[[1946年]]、[[取締役]]となり、[[常務取締役]]、副頭取、[[頭取]]、[[会長]]を歴任し、[[1967年]]に退任した。[[1952年]]に[[サンフランシスコ]]で行われた[[日本国との平和条約|対日講和条約]]の調印では[[吉田茂]][[首相]]の経済演説の原稿を書くとともに、その講義を一週間続けて行った。国際金融問題の権威で、経済審議会、関税率審議会などで活発な発言のかたわら、世界主要諸国との貿易促進にも努め、海外金融界に名を成した。[[東京銀行]]在住中、[[東京大学|東大]]・[[京都大学|京大]]の各[[経済学部]]で講師を委嘱され、国際金融論を講義した。また、日本・パキスタン協会会長を務めた。[[2000年]][[8月27日]]逝去。
 
==著書・訳書==
*(中山伊知郎・東畑精一と共編)『現代の世界』第1〜第8、ダイヤモンド社、1970年〜1973年
*『ワンワールドへの道』、兜町ブック、公社債新聞社、1982年
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{{先代次代|東京銀行頭取|第3代:1957年 - 1965年|[[二見貴知雄]]|[[原純雄]]}}
{{DEFAULTSORT:ほりえ しけお}}
[[Category:日本の実業家]]