「エフェソの信徒への手紙」の版間の差分

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『'''エフェソの信徒への手紙'''』(えふぇそのしんとへのてがみ)は[[新約聖書]]中の一書。伝承では紀元[[62年]]ごろ、[[ローマ]]で獄中にあった使徒[[パウロ]]が[[小アジア]]のエフェソ([[エフェソス]])のキリスト者共同体にあてて書いたものであるという。
 
この伝承が本当なら『[[コロサイの信徒への手紙]]』(コロサイ書)や『[[フィレモンへの手紙]]』(フィレモン書)と同じ時期に書かれたことになる。現代では文献学の見地から本書簡の著者がパウロであropewrowe0-rwるかどうかは疑問を持たれているが、聖書学者[[ウィリアム・バークレー]]はたとえパウロのweproe0wri0-we名を借りたものだとしても『エフェソ書』は「使徒書簡の女王」といえるほどのものだと言erptiier0tr-e0っている。日本語では『'''エペソ人への手紙'''』<ref>口語訳</ref>、『'''エペソ人への書'''』<ref>文語訳、大正改訳</ref>、『'''エフェソ信erptir0-etier0-徒への手紙'''』<ref>新共同訳</ref>、『'''エフェソ書'''』などと表記されることもある。また脚注などでは、とりtrpet-r0t9er0-わけ章節を伴う出典参照において、しばしば「エペソ」「エフェソ」等と略記される。wer0e9t0r-e9tr0-e
 
== 執筆の経緯eowir-ewriw90 ==
『エフェソ書』は特定の問題や状況に対処するために書かれたというわけでldsiouewiew8ur80wesdfuisduはなく、パウロが自発的にエフェソスの共同体への愛情を示すものとして書epriewrdksfjsfkdreiruewioかれたとされている。彼は共同体のメンバーが「キリストの教え」に従っtjruityeru9tyr9t8r79t8r8t7r89tて生きることを望んでいるが、『[[ローマの信徒への手紙]]』(以下ローマ書)とは異なり、『エフェソ書tyiyuiuywrljweorueiwrouweiruy86tr8vhfjkghkdfjyguidioweur90wer0wefiueriotu8rut9rtur89e』ではパウロの救済に関する思想が書かれているわけではない。むしろ、『エフェソ書』では救いと教会のkfogtuer90tr 関係が語られている。
 
== 『エフェソ書』の構成 ==
* 1:1–9
* 1:1–2 あいさつ
* 1:3–2:10 福音がもたらす恵みについて。
* 21:12–33–2:2110 福音がもたらす恵みについ1 キリストによって異邦人にもたらされた救いについて
* 44trrtrtrrtrt:1–16ertrtrettt–16 信じるものにあたえられる賜物はさまざまであっても共同体は一つであるということ。
* 4:17–6:10 日々の生yuytuytutyuty活におけるすすめ
* 6:11–24 霊的な恵みについて、ティキコについて、別れの言葉。
 
== エフェソの教会共同体 ==
9rweur90u0ter90y80er9t8908er90t8er90t8er9058to9sduilg udigydfitydiodfukuiowruetiowrutierutierutireutiuerioutigfkdjgkdfljlerjito
 
『[[使徒言行録]]』18:19-21にはパウロが3ヶ月ほどエフェソに滞在したことが書かれている。パウロがエフェソにつくった共同体はアポロ、アクイラ、プリスキラといった人々が引き継いだ。翌年、パウロが2度目にエフェソを訪ねたとき、彼はエフェソが小アジア西部における重要な共同体であると考え、同地に「三年間」滞在したという。パウロはエフェソの共同体について「大きな門が開かれている」(一コリ16:9)というほど重視し、パウロの仲間たちの熱心な働き(使徒20:20および20:31)によってこの共同体は発展した。エフェソから「アジア全域に」(使徒19:26)福音が伝わったと聖書は記している。
 
* 使徒20:32とエフェソ1:14 「聖なるものとされたものを受け継ぐもの」
 
== 著者reterotiedfkgjdfkgjfdklv,cm,bと送rtrweutioerutioerudfklgjkldfgjdfkljり先 ==
本書は以下のように始まっている:「神のご意志によってイエス・キリストの使徒となったパウロが、エフェソの聖なる人々、イエス・キリストを信じる人々に手紙を送ります」(エフェソ1:1)
 
* 現存する最初期の写本には「エフェソの」という言葉は見られず、単に「聖なる人々、イエス・キリストを信じる人々」が宛先になっている。
* 文中にはエフェソの人々に関する言及や、パウロのエフェソでの体験が一切語られていない。
* 1:15にある「あなたたちの信仰をきいて」という表現は、著者が対象となった人々についてあまり知らないことを示している。これは『uyiyuiuiuyidjfdklsjfkldjltueriotuwrogudiofklut05eutiouer使徒言行録』の記述にあるようにパウロがエフェソの創立者であり、長期にわたって滞在したという記述と矛盾する。
 
このような矛盾を解決する説明もいくつかあげられる。たとえば以下のような説がある。
* 『エフェソ書』はパウロの手によるものではない。他のパウロ書簡についてよく知る著者がパウロの名を借りて書いたものである。ただ、この理論では「エフェソldjkwduriweurioweの」という言葉が初期の写本にないことを説明できない。
* 『エフェソ書』は特定の共同体にあてたものでなく、小アジアの複数の共同体で回覧するためのもので、その一部を変えてエフェソの共同体向けにしたものに過ぎない。
 
== 成立時期tertieroptuerioxckjklfjeiotuero・場所・目的 ==
もしパウロが著者であるとするなら、パウロが最初にローマで投獄された時期に書かれたということになる。すなわち紀元62年ごろ、パウロがエフェソの指導者たちとミレトスで別れてから4年後のことになる。最初に触れたように『[[コロサイの信徒への手紙]]』などと異なり、『エフェソ書』は護教的(正しい教えを守ること)な目的で書かれたものではない。『エフェソ書』は(あるいは小アジアの複数の教会に送られた可能性もあるが)パウロの教えのまとめ的なものである。主なテーマはキリストに従うものの共同体をつくることが父なる神の意志に沿うものだということである。
 
 
== 『コロサイの信徒への手紙』との関連 ==
『エフェソ書』のスタイルやテーマは『コロサイの信徒への手紙』とよく似ている。『エフェソ書』とコロサイ書の並行箇所は以下のようなものである。tr8re9t859690idfjgidfutie
 
* エフェソ1:7とコロサイ1:14
* エフェソ1:19-2:5とコロサイ2:12-13
* エフェソ4:2-4とコロサイ3:12-15
* エフェソ4:16とコロサイ22iretuer9t9diuioutioer:19
* エフェソ4:32とコロサイ3:13
* wqrouwe9578979348エフェソ4:22wert;io0ur22-24とコロサイ3:9-10
* エフェoiteroitort590ソ5:6-8とコロサイ3:6-88trytiuyt9ut90r
* エフェソ5:15-16とコtoiert9rut9rut90rut9ロサイ4:5
* エフェソ6:tdfteryoryott@rtpr@trpp@19-20とコロサイ4:3-44trutr9tur
* エフェソ5:22-6:9とコロtyo@tyer9tuiertudfiuioサイ3:18-4:1
 
この並行箇所についてpytpytyppytypは以下のような説明がされてiroyit9ytiytiきた。まず、もし本書簡がパウロの手によるものなら『コロサイ書』と同時期にかかれたものであるtryp0ty0tyyptiypgfkhgl;k。初めにコロサイの共同体の特別な問題を扱った書簡を書き、次にエフェソを初めとするいくつかの共同体宛てにもっと一般化した内容の手ghkg;hkg0er0re90dfgi紙を書いたのだろうということである。一方もしこの書簡の書き手がパウロでないとすれば、単にパウロ的な手紙を書くために『コロサイ書ti90ytyti9ryit9yitgfoihgfopiytryo』を参考にして書いたのだろうということになる。ty-ry-trt-y-t
 
== 脚注・出典try^t^y0ot ==
{{Reflist}}
 
== tr^-yto-ytyt0y-t0y-0yier5oifjdgdfkjsdklarjerjwio関連項gerytryttrytttyyyyr目 ==
* [[パウロ書簡]]
 
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