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; 仏教
一方、宗教においては、宋・元の時期、禅仏教が盛況を呈した。宋朝は科挙によって官僚を登用する必要から[[儒教]]を重んじたが、同時に仏教や[[道教]]も保護し、この国家による保護政策によって仏教は隆盛に向かった。その中心は禅宗であり、宋代の禅宗は[[曹洞宗]]・[[法眼宗]]・[[雲門宗]]・[[溈仰宗]]・[[臨済宗]]の五家と、その臨済宗が[[#楊岐派|楊岐派]]と[[#黄龍派|黄龍派]]に分かれることから[[禅#五家七宗|五家七宗]]と呼ばれる。宋の中期以後、楊岐派と黄龍派が次第に勢力を伸ばし、初めは黄龍派が盛んであったが、後には次第に楊岐派が優勢となった。そして南宋末の楊岐派の発展は目覚しく、殊に[[#圜悟克勤|圜悟克勤]]の門下から出た[[#大慧宗杲|大慧宗杲]]は多くの弟子を集めて一派をなした([[#大慧派|大慧派]])。その後、[[#密庵咸傑|密庵咸傑]]の活躍により、同じく圜悟の門下の[[#虎丘紹隆|虎丘紹隆]]の系統([[#虎丘派|虎丘派]])が盛んになり、その密庵門下では[[#松源崇|松源崇]]・[[#破庵祖先|破庵祖先]]の2人が特に有名で、それぞれ一派をなした([[#松源派|松源派]]・[[#破庵派|破庵派]])。南宋時代の禅文化に最も大きな影響を与えた[[無準師範]]は、その破庵派から出ている。
 
元朝は、南宋以来の[[漢民族]]の生活と文化をほぼそのまま容認したため、元代も仏教の中心は禅宗で、活躍した禅僧の多くは臨済宗であった。その中で特に重要な人として、破庵派の[[#中峰明本|中峰明本]]、松源派の[[#古林清茂|古林清茂]]や[[#了庵清欲|了庵清欲]]などをあげることができる。