「冬戦争」の版間の差分

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1939年8月23日の[[独ソ不可侵条約]]の秘密議定書によって、独ソによる東欧の勢力圏分割が約束された後、ソ連は<!--ドイツのように自らの勢力圏を確保するために-->バルト三国とフィンランドへの圧力を強め、バルト三国とは軍事基地の設置とソ連軍駐留を含む相互援助条約を結ばせた。フィンランドにも同様に、国境線の変更や軍事基地設置とソ連軍駐留を含む要求を行ったが、フィンランド側は応ぜず、ソ芬間の交渉は、11月に決裂した。
 
ソ連は自らの国境警備隊がフィンランド軍からを受けたとして、[[1939年]][[11月30日]]にフィンランドに侵攻した。明らかな侵略行為に対して国際社会から非難を浴びたソ連は、1939年[[12月14日]]に[[国際連盟]]から追放されるが、戦争を終結させる上では何らの実効性も持たなかった。ソ連の指導者[[ヨシフ・スターリン]]は、実力行使すれば、フィンランドは和平を求めてくるだろうと考え、フィンランド軍のおよそ{{要出典範囲|date=2018-05|3倍}}の兵力を投入したが、結局[[カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム|マンネルヘイム]]元帥率いるフィンランド軍の粘り強い抵抗の前に非常な苦戦を強いられた。
 
[[イギリス]]、[[フランス第四共和政|フランス]]等は、スウェーデンの鉄鉱石を抑えるための名目として、フィンランドに対する支援を[[ノルウェー]]など[[スカンジナヴィア半島]]北部を経由して行おうとしたが、この計画に対しノルウェーとスウェーデンは拒否したために計画は難航し、英仏の支援が本格的にフィンランドに到達することはなかった。フィンランドは[[1940年]]3月まで戦い抜くが、フィンランド第二の都市であるヴィープリを含む国土の10%、工業生産の20%が集中する地域をソ連に譲り渡すという苛酷な条件の[[講和条約]]を結び、3月13日に停戦は成立した。