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→‎九州地方: 島原データの中で抄出情報ではあるが、正式に書き出したもの。(内容は市販現状から独自調査)
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; 島原素麺:[[長崎県]][[南島原市]]などが産地。全国で2番目の生産量である。発祥については諸説ある<ref>[http://www.shimabara-soumen.com/category/1572537.html 島原そうめんの歴史]</ref>が、[[島原の乱]]で人口が激減したため、幕府の政策で、四国から移住させられた人々(公儀百姓)の素麺づくりが始まり(小豆島伝来説 / 乱後移民伝来説)と、中国伝来説などがある。長崎では唐寺における仏事や一般の食生活として索面が積極的に生産され、約400年前、島原半島にこれらの僧によってその製法が伝えられたとする説である。今でも福建省福州市では、長崎県南島原市で昔使用されていたこね鉢、巻き鉢、室、牛頭、バラ(竹で編んだ入れもの)などと同じような道具が使用されている。<ref>{{Cite news|title=島原手延そうめんについて {{!}} 島原手延そうめん - 日本の伝統を食す {{!}} 南島原市公式|date=2017-10-18|url=http://minamishimabara-somen.jp/somen/|accessdate=2018-07-02|language=ja|work=島原手延そうめん - 日本の伝統を食す {{!}} 南島原市公式}}</ref>また、遣唐使のルートとして長崎平戸・五島列島があり、手延の五島手延うどんが存在する<ref>{{Cite web|url=http://www.goto-tenobeudon.jp/history/index.html|title=五島手延うどん振興協議会 -五島うどんの歴史-|accessdate=2018-07-02|website=www.goto-tenobeudon.jp|language=ja}}</ref>ことや、肥前日野江藩(のちの島原藩)の藩主晴信の嫡男・有馬直純は当時の幕府への献上品に「素麺二千貫(御献上並び御進物用、江戸へ御仕送物)、素麺十五貫(御参勤の節、九月より霜月まで三度の御仕出)」を贈ったとの記録が当時の文献「国乗遺文」にあることから、島原の乱以前から素麺づくりが行われていたことが証明されており、中国伝来説が現在は有力と考えられている。品質に優れ、古くから三輪に供給されていた実績を誇り、全国へ流通される近年になってブランド力を高めている。
; 南関素麺:[[熊本県]][[南関町]]。麺が非常に細いのが特徴で、[[北原白秋]]が白糸のようだと形容した。将軍家、[[明治天皇]]などに献上された歴史を持つ。昔ながらの手延べ製法を守っているところが多い。
; 五島素麺:[[長崎県]][[五島列島]]五島うどんの産地として知られるが、そうめんも生産している。五島うどんの製法を引き継ぎ、引く油には椿油などを用いることが多い。手延べも多く、こしが強いのが特徴。
 
=== 衰退した産地 ===