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'''大錦 一徹'''(おおにしき いってつ、[[1953年]][[9月11日]] - )は、[[新潟県]][[佐渡郡]][[羽茂町]](現役当時、現・同県[[佐渡市]]羽茂)出身で、[[出羽海部屋]]にかつて所属した[[力士]]である。本名は'''尾堀 盛夫'''(おほり もりお)。身長185cm、体重145kg。得意手は左四つ、寄り、[[上手投げ]]。最高位は東[[小結]]([[1973年]]11月場所)。
 
現在は、[[年寄]]・[[山科 (相撲)|山科]]である。
 
== 来歴・人物 ==
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引退後は年寄・山科を襲名し、出羽海部屋付きの親方として後進の指導に当たった。その傍ら、[[2003年]]より協会在勤委員として中学校の同期生<ref>同級生と言われることもあるが、雑誌『相撲』の1973年11月号での北の湖・大錦対談で、同期ではあったがクラスは違っていたと、両者が発言している。</ref>でもある北の湖理事長(元横綱)の秘書室長的役割を負った。理事長が交代した後は、同門の[[三重ノ海剛司|武蔵川理事長]](元横綱・三重ノ海)の元で勤め、[[2010年]]2月に役員待遇に昇格した。
 
[[2017年]]1月場所後の職務分掌では[[勝負審判|審判部]]副部長に配置転換<ref>2017年6月12日に10代友綱(元関脇・[[魁輝薫秀|魁輝]])が停年(定年)を迎えることに備えたもの。10代友綱の停年まで審判部副部長は3人制になる。</ref>された。最高位が小結で審判長となるのは大錦が初である。審判部副部長は2018年3月場所まで務めた。同年9月に65歳を迎えたため、9月場所限りで日本相撲協会を停年(定年)退職となり、再雇用制度は利用せず角界を離れる予定である<ref>{{Cite news |title=北の湖前理事長を支えた山科親方が定年 花のニッパチ組の1人は「さっぱりしています」 |newspaper=スポーツ報知 |date=2018-09-13 |url=https://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20180913-OHT1T50109.html |accessdate=2018-09-13}}</ref>。
 
== エピソード ==
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== 年寄変遷 ==
*山科 盛夫(やましな もりお)1988年1月-2018年9月
 
== 関連項目 ==
* [[大相撲力士一覧]]
* [[小結一覧]]
* [[現役年寄一覧]]
 
== 参考文献 ==
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==注==
<references />
 
{{現役年寄}}
{{出羽海部屋}}
 
{{DEFAULTSORT:おおにしき いつてつ}}