「飛天御剣流」の版間の差分

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: 初撃が当たらなかった場合、斬撃が空を切ることで発生する突風が敵の行動を阻害し、その初撃で斬撃が通過した部分の空気が弾かれたことで真空の空間が生まれ、その空間の空気が元に戻ろうとする作用で相手を巻き込むように引き寄せる。その自由を奪われた相手を、二回転目の遠心力と更なる一歩の踏み込みを加え、より威力を増した二撃目で追撃する。
: 技の理屈こそ簡単ではあるが、生死をわける極限状態で抜刀する瞬間に、その勢いを一切殺すことなく左足の踏み込むには、迷いなく踏み込める確固たる信念が必要不可欠であり、「捨て身」「死中に活を見出す」などの後ろ向きな気持ちを一片でも含んでいては、左足に引っかかるか、それを恐れて意識しすぎると、勢いを殺して単に左足を前に出しただけの超神速には程遠い抜刀術となってしまうため、確固たる信念がなければ絶対に成功しない技だと瀬田宗次郎は評している。
: 天翔龍閃に限らず、飛天御剣流の抜刀術は全て「隙の生じぬ二段構え」(双龍閃で言えば鞘での攻撃)になっていると比古清十郎は語る。また、不敗の奥義ではあるが、使用者が十分な心身を保っていればこそとも語っている。心に一辺の迷いでもあればその分威力は減衰され、巻き込む真空も十分な威力を発揮せず、「不敗」足り得ない技となってしまう。実際に縁との戦いでは人斬りとしての罪の償いの答えを見いだせないまま放った為、「虎伏絶刀勢」の前に敗れ去っているが、答えを見出した二度目の戦いでは真空が縁の腕の関節を外すほど威力が増し、逆に「虎伏絶刀勢」を破っている。
: 『キネマ版』では、九頭龍閃が奥義となったため「最速抜刀術」という位置づけとなり、技の読みも「'''てんしょうりゅうせん'''」に改められた。九頭龍閃と同じく、剣心が抜刀斎となる前にすでに会得している。
: 実写映画版では数少ない技名が言及される技である。原作やアニメ版と異なり、宗次郎や蒼紫にはこの技を使わずに勝利し、ラストバトルにおける最終局面の決め手として使用した。また、剣心は奥義伝授を再会してすぐ比古に嘆願するが、原作、アニメではすぐに断られ、弥彦らによる説得と流浪人としての活躍の報を聞き受けてようやく修業の許可を貰うが、実写版ではアッサリと了承され、その後に命を懸けた地獄の特訓が開始される。二撃目が存在しない代わりに、文字通りの一撃必殺技として志々雄との最後の戦いで唯一彼に対して決定的なダメージを与えた(実写映画の志々雄は1対4でも有利に戦うほどの強敵として描かれている)ほか、彼の愛刀無限刃をへし折っている。