「寺石正路」の版間の差分
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== 来歴 ==
*[[1868年]]([[慶應]]4年)9月2日、[[寺石可成]]、壽賀(すが)の嫡男として、現在の[[高知県]][[高知市]]九反田に生まれる
*[[1880年]]([[明治]]13年)高知九反田の[[高知県立高知小津高等学校|海南私塾]]分校(後の[[高知県立高知小津高等学校|県立高知小津高校]])に学ぶ。[[1883年]](明治16年)同校を卒業。
*[[1884年]](明治17年)[[東京]]の[[共立学校]](
*[[1885年]](明治18年)東京大学予備門(旧制[[第一高等学校 (旧制)|第一高等中学校]]の前身)へ進む。この時の前後の同
*[[1886年]](明治19年)、病により帰郷。
*[[1887年]](明治20年)、東京大学予備門を中退する。
*[[1888年]](明治21年)、高知で佐川町英学会の講師となる。
*
*[[1890年]](明治23年)、高知県立尋常中学校の補欠教員となる。
*[[1891年]](明治24年)、高知の[[宿毛貝塚]]、[[愛媛]]の[[平塚貝塚]]を発見し[[縄文文化]]の調査を行う。
*[[1892年]](明治25年)、母校の
*[[1893年]](明治26年)、[[東京人類学会]]の地方委員に推薦される。
*その後、旧制[[高知高等学校 (旧制)|高知高等学校]]の教諭となる。教え子には[[平尾道雄]]などがいた。
*資料に基づく実証的な研究を行い[[郷土史|郷土史家]]としてだけでなく、[[考古学]]・[[民俗学]]・[[人類学]]など幅広い分野での論文執筆を重ねた。
*[[1926年]]([[大正]]15年)、[[土佐史談会]]の会長を勤める。
*[[1949年]]([[昭和]]24年)12月23日[[老衰]]により逝去。享年82。墓は
== 著書 ==
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