「樺太」の版間の差分
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** 樺太ニ施行スヘキ法令ニ關スル法律(明治40年法律第25号)施行<ref>[https://ja.wikisource.org/wiki/樺太ニ施行スヘキ法令ニ關スル法律 樺太ニ施行スヘキ法令ニ關スル法律 - Wikisource]</ref><ref>[http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hm40-25.htm 中野文庫 - 樺太ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律]</ref>。
[[ファイル:Border Security of the 50th parallel of north.JPG|thumb|250px|北緯50度の国境標識と、警備にあたる日本の[[国境警備隊|国境警察隊員]]。1913年(大正2年)から1939年(昭和14年)まで南樺太に[[日本軍]]部隊は常駐せず、国境警察隊だけが警備を担当していた。]]
::日本統治時代の樺太(南樺太)の人口変遷を以下にまとめる。
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<!--(戦史叢書『北東方面陸軍作戦(2)』の536頁などによると、停戦前後の緊急疎開などが約10万人あり、ちょうど計算が合います)::戦後の引揚者数との間に10万人前後の差が生じていることから、死亡・行方不明者数は10万人を超えるものと推定される。-->
::ただし、極寒の樺太では夏と冬では人口が違い、冬には避寒のため
* [[1908年]](明治41年)[[3月31日]] - 内務省告示にて、地名を日本語式漢字表記に変更<ref>明治41年内務省告示第29号([http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950772/23 官報第7425号、p.788])</ref>。
* [[1911年]](明治44年) - [[三井合名会社]]が樺太国有林の伐採権を得る。
* [[1913年]](大正2年) - 樺太守備隊廃止。以降、[[樺太庁警察部|国境警察隊]]が国境警備を担当。
* [[1915年]](大正4年)[[6月26日]] - [[勅令]]第101号樺太ノ郡町村編制ニ関スル件により、17郡4町58村が設置される。
* [[1918年]](大正7年) - [[共通法]](大正7年法律第39号)(大正7年4月17日施行)1条2項で、共通法の適用上は樺太を[[内地]]に含む(みなし内地)と規定<ref>[{{NDLDC|2953822/3}} 法律第39号] 官報 大正7年(1918年)4月17日</ref>され、終戦まで基本的に[[国内法]]が適用されることとなった。
* [[1920年]](大正9年)
** [[5月1日]]、[[大正]]9年勅令第124号(樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件)<ref>[{{NDLDC|2954436/1}} 勅令第124号] 官報 大正9年(1920年)5月3日</ref>公布。樺太に施行される法律に[[勅令]]により若干の地方的又は種族法的な性質を有する特例を設けるとされた。ただし、勅令第124号廃止まで内地に準ずる扱いは変わらず。
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[[ファイル:Toyohara street.jpg|thumb|200px|[[1930年代]](内地編入前)の豊原市中心部([[真岡通り]])の風景。]]
* [[1943年]](昭和18年)
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** 11月 - [[豊原市]]を中心とした南部の防衛を任務とする第30警備隊を新設。
* [[1945年]](昭和20年)
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*[[1942年]](昭和17年) - 「[[内地|内地行政]]」への編入を行った。
*[[1945年]](昭和20年)
**[[8月9日]] -
**[[9月2日]] - 日本が正式に[[ポツダム宣言]]を受諾し降伏すると、[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]は一般命令第一号を発令し、樺太をソ連占領地とすることを命じた。これは1945年(昭和20年)[[2月]]、米英首脳がソ連に対して[[ナチス・ドイツ]]降伏3カ月後に対日参戦することを条件に、南樺太を返還し、[[千島列島]]を引き渡すという密約を与えた[[ヤルタ会談#極東密約(ヤルタ協定)|ヤルタ協定]]に基づいて行われたものである。
*[[1946年]](昭和21年)
**[[1月29日]] - GHQの指令[[SCAPIN#SCAPIN-677|SCAPIN-677]]が日本政府に通達され、日本の行政権が停止される。
**[[2月2日]] - ソ連は南樺太・千島列島を南サハリン州とし、これを[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国|ロシア共和国]]ハバロフスク地方に編入した。
*[[1952年]](昭和27年) - 「日本国が南樺太と付属島嶼を放棄すること」
== 領土問題 ==
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