「ローマン・インガルデン」の版間の差分
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インガルデンは1893年2月5日に[[オーストリア=ハンガリー]]の[[クラクフ]]に生まれる。最初の[[リヴィウ大学]]にて、[[カジミェシュ・トヴァルドフスキ]]のもとで数学、哲学を。その後、[[ドイツ]]の[[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン|ゲッティンゲン大学]]へ移り、[[エトムント・フッサール]]のもとで哲学を学ぶ。フッサールに、自分の最も優秀な生徒と認められ、フッサールが[[1916年]]に[[アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルク|フライブルク大学]]に異動するのに同行し、[[1918年]]、博士論文を提出する。
博士号を取得した後は、ポーランドへ戻り、長期間中等学校の教師として教える。[[1925年]]、「
第二次世界大戦によって、大学が閉鎖されたために、[[1941年]]から[[1944年]]までの間、インガルデンのアカデミックキャリアは中断を余儀なくされる。その間、密かに戦争孤児に数学と哲学を教える。自宅を爆撃で失った後も、「The Controversy over the Existence of the World」を書き続けた。
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