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'''紀元前262年'''は、[[ローマ暦]]の年である。
'''紀元前262年'''は、[[ローマ暦]]の年である。当時は、「[[ルキウス・ポストゥミウス・メゲッルス (紀元前262年の執政官)|ルキウス・ポストゥミウス・メゲッルス]]と[[クィントゥス・マミリウス・ウィトゥルス]]が[[執政官|共和政ローマ執政官]]に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、[[ローマ建国紀元]]491年)。[[紀年法]]として[[西暦]](キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前262年と表記されるのが一般的となった。▼
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== 他の紀年法 ==
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* [[仏滅紀元]] : 285年
* [[ユダヤ暦]] :
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== できごと ==
=== ギリシア ===▼
* [[アテナイ]]の降伏後、[[マケドニア]]軍による長期間の包囲が続いた。[[アンティゴノス2世]]はアテナイに守備隊を再配置し、市に戦争を起こすことを禁じ、アテナイを哲学と学問の地として残した。▼
=== 共和政ローマ ===▼
* [[共和政ローマ]]は、[[ハンニバル・ギスコ]]指揮下の[[カルタゴ]]に占領されていた[[アグリジェント|アグリゲントゥム]]を攻撃した。ローマ軍の攻撃は両[[執政官]]に率いられ、数ヶ月続いた。アグリゲントゥムの守備隊は援軍を求め、ハンノに率いられたカルタゴ軍が援護に到着し、ローマ軍の補給基地を破壊した。何度かの小戦闘の後、ローマ軍は[[アグリゲントゥムの戦い]]に勝利し、街は陥落した。ハンニバル・ギスコは戦闘の最後に何とか脱出に成功した。▼
* アグリゲントゥムを失った後、カルタゴ軍は解散した。その間、ローマ軍はアグリゲントゥムで略奪を行い、ギリシア人の住民を奴隷にした。ローマが[[シチリア]]からカルタゴを駆逐するのは決定的となった。▼
=== シリア ===
* [[セレウコス朝]]の王[[アンティオコス1世]]の長男で長年の間、総督として王国の東側を治めていたセレウコスは、謀反の疑いをかけられ、父親に殺害された。▼
* アンティオコス1世は、成長しつつある[[ペルガモン王国]]を武力で打倒しようと試みた。ペルガモン王国の新しい王[[エウメネス1世]]は、[[サルディス]]近郊でアンティオコス1世の軍を破り、セレウコス朝の支配から街を解放した。▼
* アンティオコス1世は死去し、次男の[[アンティオコス2世]]が王位を継いだ。▼
==
* [[楚 (春秋)|楚]]が州陵を[[秦]]に割譲して講和した。▼
▲===ギリシア===
* 秦の[[白起]]が[[韓 (戦国)|韓]]を攻撃し、野王を陥落させた。▼
▲*[[アテナイ]]の降伏後、[[マケドニア]]軍による長期間の包囲が続いた。[[アンティゴノス2世]]はアテナイに守備隊を再配置し、市に戦争を起こすことを禁じ、アテナイを哲学と学問の地として残した。
== 誕生 ==
▲===共和政ローマ===
{{see also|Category:紀元前262年生}}
▲*[[共和政ローマ]]は、[[ハンニバル・ギスコ]]指揮下の[[カルタゴ]]に占領されていた[[アグリジェント|アグリゲントゥム]]を攻撃した。ローマ軍の攻撃は両[[執政官]]に率いられ、数ヶ月続いた。アグリゲントゥムの守備隊は援軍を求め、ハンノに率いられたカルタゴ軍が援護に到着し、ローマ軍の補給基地を破壊した。何度かの小戦闘の後、ローマ軍は[[アグリゲントゥムの戦い]]に勝利し、街は陥落した。ハンニバル・ギスコは戦闘の最後に何とか脱出に成功した。
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
▲*アグリゲントゥムを失った後、カルタゴ軍は解散した。その間、ローマ軍はアグリゲントゥムで略奪を行い、ギリシア人の住民を奴隷にした。ローマが[[シチリア]]からカルタゴを駆逐するのは決定的となった。
* [[ペルガのアポロニウス|アポロニウス]] - ギリシアの天文学者、数学者([[紀元前190年]]没)▼
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{{see also|Category:紀元前262年没}}
▲*[[セレウコス朝]]の王[[アンティオコス1世]]の長男で長年の間、総督として王国の東側を治めていたセレウコスは、謀反の疑いをかけられ、父親に殺害された。
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
▲*アンティオコス1世は、成長しつつある[[ペルガモン王国]]を武力で打倒しようと試みた。ペルガモン王国の新しい王[[エウメネス1世]]は、[[サルディス]]近郊でアンティオコス1世の軍を破り、セレウコス朝の支配から街を解放した。
* [[フィレモン]] - アテナイの詩人、劇作家([[紀元前362年]]生)▼
▲*アンティオコス1世は死去し、次男の[[アンティオコス2世]]が王位を継いだ。
* アンティオコス1世 - セレウコス朝の王([[紀元前323年]]生)▼
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'''注釈'''
▲*[[楚 (春秋)|楚]]が州陵を[[秦]]に割譲して講和した。
{{Reflist|group="注"}}
▲*秦の[[白起]]が[[韓 (戦国)|韓]]を攻撃し、野王を陥落させた。
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
==
{{Commonscat|262 BC}}
▲*[[ペルガのアポロニウス|アポロニウス]] - ギリシアの天文学者、数学者([[紀元前190年]]没)
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=3|年代=200|BC=1}}
▲*[[フィレモン]] - アテナイの詩人、劇作家([[紀元前362年]]生)
▲*アンティオコス1世 - セレウコス朝の王([[紀元前323年]]生)
{{デフォルトソート:きけんせん262ねん}}
[[Category:紀元前262年|*]]
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