「乃木静子」の版間の差分

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[[1912年]](明治45年)7月、[[明治天皇]]が[[糖尿病]]により崩御、その後の1912年(大正元年)9月13日、明治天皇を追って[[殉死]]した夫・希典と共に乃木邸(現在の[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]にある[[乃木神社 (東京都港区)|乃木神社]])にて胸を突き死亡した。[[享年]]54(満52歳)。
 
夫・希典が直前に書いた遺書では、死後のことで不明な点は静子に聞くよう遺書に残しており、希典は自刃の直前また記載時点で最期まで静子も殉死することの生存を想定していなかっとされる。<ref>大濱徹也 『乃木希典』 p290、講談社〈講談社学術文庫〉、2010年12月。<nowiki>ISBN 978-4-06-292028-5</nowiki>。</ref>
 
== 家族 ==