「キリストの降誕」の版間の差分

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[[高等批評]]や[[自由主義神学]]の聖書学においては、ベツレヘムで生まれたという記述は、預言に適合させるために作られた伝説、神話であると考えられている。こうした立場からは、『[[ヨハネによる福音書]]』においては、イエスは[[ガリラヤ]]の[[ナザレ]]の出身であると記されており、『[[マルコによる福音書]]』『マタイ福音書』『ルカ福音書』のいずれにおいても、イエスが[[ダビデ]]王の子孫であることは否定されているとされる。この立場において、イエスは誕生物語以外の場面では一貫して「ナザレ人」「ナザレ出身者」の術語が用いられており、これはすべての福音書において一致していることを以て、実際に生まれた場所はベツレヘムではなかったことの証左とされることがある<ref>八木(1968)pp.84-85</ref><ref>荒井(1974)p.27</ref>。
 
その一方、伝統的な信仰を保持する[[カトリック教会]]、[[カトリック教会]]、保守的な[[聖書信仰]]の立場などにある[[プロテスタント]]など、聖書の記述を真実ととらえる立場もある<ref>[[日本ハリストス正教会]]教団『正教要理』46頁、昭和55年12月12日</ref><ref>[http://www.shimizu-catholic.jp/message-100100.html ベツレヘム:それは「パンの家」] カトリック清水教会</ref><ref>『新聖書辞典』[[いのちのことば社]]</ref><ref>ケアンズ『基督教全史』[[聖書図書刊行会]]</ref><ref>『聖書の権威』[[日本プロテスタント聖書信仰同盟]]</ref>。前述の高等批評の立場では『マタイ福音書』はダビデ王の子孫であることは否定しているとするが、伝統的な信仰を保持する立場からは、まずマタイ福音書の冒頭(1章1節)にある「ダビデの子」という表現を根拠に、イエスをダビデの子孫とする。[[ヨハネス・クリュソストモス|ヨハネス・クリュソストモス(金口イオアン)]]、[[ブルガリアのフェオフィラクト]]といった古代・中世の聖人達も、旧約における預言([[イザヤ書]]11章ほか)との整合性をもってこれを強調してきた。なお「子」という表現は新約聖書において「養子」「子孫」の意味にも用いられており、必ずしも文字通りの血縁・親等を示すものではない(聖書中でイエスは通常の夫婦関係によらず、[[聖霊]]によってみごもったとされている)<ref name="mikha">[[掌院]]ミハイル『馬太福音書註解 全』1頁 - 3頁、[[正教会]]編集局、原著1870年刊行、訳書:明治二五年版(再刊)</ref>
 
==脚注==