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[[明代]]の中国では宴会に加えて、名月の日に供え物や[[月餅]]を贈り合う習慣が始まったと[[田汝成]]の『[[煕朝楽事]]』に記録がある。日本では[[室町時代]]に入ってからも名月の日は続いたが、遊宴としては簡素になっていき、室町後期の名月の日には月を拝み、お供えをする風習が生じていた。『[[御湯殿上日記]]』には[[後陽成天皇]]が[[ナス]]に開けた穴から月を見て祈る「名月の祝」という祝儀の様子が記録されている。
 
[[東アジア]]には旧暦の8月15日には月見の成立以前からサトイモの収穫祭がある地域が多く、日本でもその日にサトイモを食べる習慣があった。月見が世俗化した[[江戸時代]]前期の記録によれは、十五夜の日は[[芋煮]]を食べて夜遊びをするのが一般的だった。その頃の庶民の月見には月見団子などの供え物の記録は見られず、家庭で供え物が行われるようになったのは中期以降のことと見られている。江戸後期の風俗記録である『[[守貞漫稿]]』には十五夜の日は文机で祭壇をこしらえ、供え物として江戸では球形の、京阪ではサトイモの形をした月見団子を供えると記録されている<ref>鈴木晋一 『たべもの史話』 小学館ライブラリー、1999年、pp127-137</ref>。2020年にはごち
 
3期が放送される。s
 
== 八月十五夜 ==