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{{by|1994年}}は開幕から打ち込まれる試合が続くも、打線の援護に恵まれ、開幕9連勝を飾る。[[5月17日]]の対日本ハム戦で完封で通算101勝目を挙げ、外国人選手としてNPBの通算最多勝利記録を更新した<ref>従来の記録は[[ジョー・スタンカ]]と[[ジーン・バッキー]]の100勝</ref>。シーズン通算では規定投球回に達した投手の中でリーグ最低の防御率4.98ながら、13勝5敗で自身2度目となる最高勝率のタイトルを獲得。[[1994年の日本シリーズ|同年の日本シリーズ]]では第4戦に先発し、2回2/3を5安打2失点の内容で降板した。
 
{{by|1995年}}は、前年とは逆に好投しても打線の援護に恵まれない試合が続いた。それでも[[伊良部秀輝]]と[[最優秀防御率 (日本プロ野球)|最優秀防御率]]のタイトルを最後まで争ったが、シーズン終盤に右手首を痛めて伊良部と0.01差の防御率2.54で惜しくもタイトルを逃している<ref name="base_19971215_142"/>。この手首の故障が大きな原因となり、翌{{by|1996年}}は0勝6敗に終わった。なお、同年オフには外国人選手として初めて[[フリーエージェント (日本プロ野球)|FA]]権を取得、規定により[[外国人枠 (日本プロ野球)|外国人枠]]から外れている。{{by|1997年}}も復活する事なく、9月に現役引退を決めた<ref name="base_19971215_140"/>。[[西武ドーム|西武球場]]最終戦となる[[10月5日]]の対ダイエー戦の先発が引退登板となり、長年チームメイトでもあった[[秋山幸二]]がダイエーの1番打者として出場し、全て直球を投げて中飛に打ち取っている<ref name="base_19971215_140"/>。ちなみにこの時投げたストレートは140km台を記録しているが、この年二軍でも本人が肘などの痛みを訴えて練習らしい練習を殆どしていない中でのこの結果である。これは後年テレビの企画で歴代の外国人選手についてのインタビューに答えた[[友利結|デニー友利]]が証言している。なお、この試合では秋山の打席を終えると、同じく引退する[[鹿取義隆]]に交代した。
 
=== 現役引退後 ===