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[[File:Kawakami sumio.jpg|thumb|220px|川上澄生 1953年7月 札幌]]
'''川上 澄生'''(かわかみ すみお、[[明治]]28年([[1895年]])[[4月10日]] - [[昭和]]47年([[1972年]])[[9月1日]])は、[[日本]]の[[版画家]]。[[神奈川県]]出身。本名は川上澄雄
 
[[青山学院]]在学中に、木口木版の[[合田清]]と知り合っている。川上澄生の[[木版画]]には、[[大正]]末期から[[昭和]]の頃に盛んとなった[[オランダ]]文化研究の影響がみられる。かつての[[横浜絵]]や[[長崎絵]]のような発想・主題からやがて明治の[[文明開化]]期の詩的表現へと向かっている。特に長崎南蛮風俗、明治開化風俗に惹かれ、それらは素朴な彫り味と、懐古的な詩情に満ちており、独自なプリミティブな作品を生み出すこととなった。彼の版画は、すべての工程を一人で行う[[創作版画]]であり、自作の版画による絵本も愛好すべきものとなっている。また、[[ガラス絵]]、[[肉筆画]]も残しており、国画会の会員となっている。
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[[Category:日本の版画家]]
[[Category:日本の中等教育の教員]]
[[Category:神奈川県横浜市出身の人物]]
[[Category:南蛮文化|かわかみ]]
[[Category:1885年生]]