「蔚山飛行場 (初代)」の版間の差分

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'''蔚山飛行場'''(ウルサンひこうじょう、{{LangWithName|ko|韓国語|울산비행장}})は、[[日本統治時代の朝鮮]]において、[[慶尚南道 (日本統治時代)|慶尚南道]]蔚山郡蔚山邑三<ref>三里山とされる場合があるが[[日本統治時代の朝鮮の行政区画|当時の行政区画]]は[[邑 (朝鮮)|邑]]・[[里 (朝鮮)|里]]である。{{アジア歴史資料センター|C16120581700|飛行場記録 朝鮮の部}}</ref>(現在の[[蔚山広域市]][[南区 (蔚山広域市)|南区]]の一部三山洞)に建設された飛行場である。
 
==歴史==
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しかし機材の大型化が進むと蔚山飛行場の施設では対応できなくなり、1937年(昭和12年)に[[大邱飛行場]]が開設されると慶尚道の飛行場としては大邱が用いられるようになった。地元住民は大邱への機能移転に反対したが容れられることはなく、蔚山飛行場は1938年(昭和13年)9月30日を以て定期便の寄港が中止となり不時着場の位置付けとなった<ref>{{アジア歴史資料センター|C01004462300|蔚山飛行場に関する件}}</ref>。後に日本陸軍が入り、練習機用の飛行場として活用した。
 
[[朝鮮戦争]]時には[[アメリカ合衆国軍]]が非常用滑走路に指定していた。戦後も[[大韓民国国防部]]が有事に備えて用地の一部を確保していたが、蔚山の都市化の進展とともに、1980年代までに全ての用地が払い下げられ、飛行場のあった場所は南区庁舎や住宅地になっている<ref>『蔚州郡誌』蔚州郡誌編纂委員會、263ページ</ref>。
 
==事件・事故==