「小倉藩」の版間の差分

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[[File:Kokura_castle_from_the_Japanese_garden.jpg|thumb|250px|[[北九州市]]にある[[小倉城]]、日本庭園から]]
 
 
'''小倉藩'''(こくらはん)は、[[江戸時代]]の[[豊前国]]にあった[[藩]]。藩庁は[[小倉城]]([[福岡県]][[北九州市]][[小倉北区]])に置かれた。[[幕末]]から[[明治維新]]にかけては'''香春藩'''(かわらはん)、のち'''豊津藩'''(とよつはん)となった。
 
== 略史 ==
 
[[File:Daikokoya Kodayu - Landkarte von Japan.jpg|thumb|250px|日本の地図(1789年)]]
 
[[天正]]15年(1587年)、[[豊臣秀吉]]の家臣だった[[毛利勝信|森勝信]]が豊前小倉6万石(一説に10万石)を与えられ、小倉城に入城。なお、子の[[毛利勝永|勝永]]にも[[豊前国]]に1万石(4万石とも)を与えられ、この際に秀吉の計らいによって元の姓である森から、中国地方の太守・[[毛利氏]]の姓を名乗らせている。毛利勝信・勝永父子は[[関ヶ原の戦い]]で西軍に付き[[改易]]となった。
 
 
== 支藩 ==
=== 小倉新田千束藩 ===
'''千束藩'''(ちづかはん)は、小倉藩の支藩。当初は'''小倉新田藩'''(こくらしんでんはん)は、小倉藩の支藩と称した。寛文7年(1667年)、小倉藩2代藩主小笠原忠雄の藩主就任時、弟の真方が1万石を領内に分与され立藩した。藩主家は[[参勤交代]]を行わない[[江戸]][[定府]]の大名であった。明治2年([[1869年]])、千束([[豊前市]])に[[陣屋]]を構え'''千束藩'''(ちづかはん)と改称した。明治4年(1871年)、廃藩置県により千束県となる。のち、小倉県を経て福岡県に編入された。明治17年(1884年)、千束藩小笠原家は[[子爵]]となり華族に列した。
 
=== 歴代藩主 ===
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