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*[[インドネシア]][[ジャカルタ]]生まれ。[[神奈川県]][[川崎市]]育ち。O型。
*[[川崎市立住吉中学校]]卒、[[桐光学園中学校・高等学校|桐光学園高等学校]]卒、東京農工大学農学部応用生物科学科卒、同大学院(生物制御科学科植物病理学研究室)中退<ref name="hanatanitokanda"/>。
*3人姉弟の第二子で姉は[[神田うの]](後述)。弟の昇二郎は元俳優(現在は会社員)。
*レーシック手術をしたため、2006年から伊達眼鏡をかけて舞台に出ている<ref>{{Cite web|url=http://girlswalker.com/content/news/love/vender/153/2013/01/18/71191|title=女子に大人気の“メガネ男子”! モテるフレームの選び方|publisher=girlswalker.com|date=2013-01-18|accessdate=2015-06-15}}</ref>。
*2011年8月に膝の手術をした。このためハマカーンはこの年のキングオブコント予選にはエントリーしなかった。また、学生時代、浜谷とともに柔道部だったが、この手術をきっかけに柔道をやめた。
*現在は料理が趣味で、料理に使う野菜をベランダで育てている<ref>{{Cite web|url=http://ameblo.jp/hamakan-kanda/entry-12028720821.html|title=5/30の告知|publisher=ハマカーン神田のお料理ブログ|date=2015-05-20|accessdate=2015-06-15}}</ref>。また、姉の影響で[[美容]]や[[スイーツ]]など普通なら女性しか知らないような情報を知っている。また、[[フェイスパック]]や[[ゲルマニウムローラー]]を愛用するなど、神田の女性的な側面は漫才で度々ネタにされている。
*父が東京大学卒業のエリート官僚でかなり裕福な家庭で育ち、両親や祖父母にも大変可愛がられて大事に育てられたため、良くも悪くも若干世間とのズレがある。基本的には姉のうのと同じく、ゆっくりマイペースに喋り、誰のことも好きであるが、それ故に浜谷がドッキリで「仲の良い芸人の悪口を言う」という事に物凄いショックを受けてしまい、ドッキリとバラされても、「浜谷が悪口を言うやつ」という印象が1ヶ月ほど抜けず、浜谷を本気で嫌いになったことがある。
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*かつて「フィギュアフォーレッグロック」と言うバンドを組んで活動していたことがあった。バンド名は[[足4の字固め]]のこと。メンバーは他に[[Hi-Hi]]岩崎、[[ねじ (お笑いコンビ)|ねじ]]佐々木ら<ref>「下衆と女子の極み 強くなりたきゃパンを食え」 p.98-99</ref>。
*大の酒好きで酒も強い。ただし、2011年頃痛風の兆候があらわれて以降はビールを多少ひかえている<ref>{{Cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/04/01/kiji/K20130401005524880.html|title=セレブの仲間入り?ハマカーン神田「姉のパーティーで胸を張れる」|publisher=[[スポーツニッポン]]|date=2013-04-01|accessdate=2015-06-15}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://datazoo.jp/tv/%E9%A7%86%E3%81%91%E8%BE%BC%E3%81%BF%E3%83%89%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%EF%BC%81%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%82%92%E5%A4%89%E3%81%88%E3%82%8B%E5%81%A5%E5%BA%B7%E8%A8%BA%E6%96%AD/646505/2|title=TVでた蔵「2013年6月2日放送 駆け込みドクター!運命を変える健康診断」|publisher=[[ワイヤーアクション (企業)|ワイヤーアクション]]|date=2013-06-02|accessdate=2015-06-15}}</ref>。
** まだ姉が芸人を始めたてのとき、神田うのの弟という事注目され事を隠のが嫌で、公表していなかっ時期に、紳一郎はその事を親しい芸人にだけは教えていたが、その当時[[東京スポーツ]]に連載をもっていた[[髭男爵]]山田ルイ53世からのリークで同紙に記事が出てしまった事がある<ref>{{Cite web|url=http://datazoo.jp/tv/%E8%8A%B8%E4%BA%BA%E5%A0%B1%E9%81%93/625865|title=TVでた蔵「2013年2月26日放送 芸人報道」|publisher=[[ワイヤーアクション (企業)|ワイヤーアクション]]|date=2013-02-26|accessdate=2015-06-15}}</ref>。それ以降は、うのとハマカーンが一緒に仕事をすることも多くなり、うののブログにハマカーンに関する記述もされるようになった
* 2018年2月2日、結婚<ref>{{Cite news|url= https://www.oricon.co.jp/news/2105168/full/ |title= ハマカーン・神田伸一郎が結婚 “夫婦の日”22時22分に婚姻届 |newspaper= ORICON NEWS |publisher= oricon ME |date= 2018-02-03 |accessdate= 2018-02-03 }}</ref>。
 
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* [[2014年]]、[[阪神電気鉄道]]のCM、「阪神沿線物語」に出演。
 
== 芸風ネタ ==
*主に漫才を行っている。「[[爆笑オハマカーエアバトル]]」出演時ま単独ライブ等ではコント漫才が主流でをメインとすることもったが、2018年現在はいわゆる正統派の[[しゃべくり漫才]]を主流としている。コントに関しては単独ライブなどでは披露する事が多いが、テレビで披露する事は殆ど無い
**2009年~2011年頃ま漫才では神田が行う携帯電話の機種変更や[[金魚すくい]]など、当たり障りの無い普通の行為に対して浜谷が物騒な例えで大げさに否定するというスタイルの漫才ネタ主流としていた行う。その際、浜谷が神田の行動を'''「下衆の極み」、「鬼畜の所業」、「人にあらず」、「地獄の鬼すら反吐吐く所業」、「天に唾する行為」、「人の姿をした悪魔の所業」、「来世人に生まれると思うなよ」'''などの決め台詞で非難する。ネタの締めでは神田が強引に話を終わらせ、浜谷が神田を問い詰めながらも一緒に頭を下げてハケていく形を定番にしている。「下衆の極み」は「[[北斗の拳]]」から[[インスパイア]]されたネタだという<ref>「下衆と女子の極み 強くなりたきゃパンを食え」 p.174</ref>。
*かつては神田はネタの最後にバレリーナのように腕を前に下ろしてお辞儀し、浜谷は江戸っ子のようなお辞儀をしていた。なおお辞儀をやめた理由について二人は「『爆笑オンエアバトル』のレギュラー放送終了(2010年3月)を期にやめた」とインタビューで談話している<ref>[[週刊朝日]] 2013年8月30日号 p.102-106「[[林真理子|マリコ]]のゲストコレクション(679)」</ref>。
**2012年の『[[THE MANZAI (お笑いのコンテスト)|THE MANZAI]]』ではまたもやスタイルを一転させ、神田の女子的目線から放たれるウザい意見に浜谷が感情的に突っ込み、それに対して神田が奇妙に理論的な理屈でやりこめて浜谷が思わず反省してしまうというネタを演じ、見事優勝する。このネタ中でも半ば強引に前述の決め台詞を織り交ぜていた<ref name="excite130730"/>。今大会で優勝して以降は、このスタイルを主流としている
*漫才に関しては幾度もスタイルの変更を繰り返している。以下がその例。
*かつては神田はネタの最後にバレリーナのように腕を前に下ろしてお辞儀し、浜谷は江戸っ子のようなお辞儀をしていた。なおお辞儀をやめた理由について二人は「『爆笑オンエアバトル』のレギュラー放送終了(2010年3月)を期にやめた」とインタビューで談話している<ref>[[週刊朝日]] 2013年8月30日号 p.102-106「[[林真理子|マリコ]]のゲストコレクション(679)」</ref>。
**結成当初から「爆笑オンエアバトル」出演時までは、上記の通りコント漫才を主流としていた。代表的なものに「浜谷がロボットに扮して様々な職業に挑戦する」というネタがあり、一時期このネタを頻繁に行っていた。
*以前は「浜谷がロボットに扮して様々な職業に挑戦する」というネタを頻繁に行っていた。現在は上記の通りスタイルを変更したため行われていない。
**2008~2009年頃から本格的にしゃべくり漫才へと移行し、この頃は[[ハンマー投げ]]や[[野球]]などといったスポーツに対して「浜谷が小馬鹿にしたり失礼な言動を繰り返す」というスタイルの漫才を主流としていた。また、この時は漫才のつかみにおいても浜谷が失礼な事を言うボケを披露する事が多かった(例として浜谷が客に向かって「いや~、今日は綺麗な方が多いですね。こちらから、べっぴんさん、べっぴんさん…あと、全部ブス」と言うなど)。
**2009年~2011年頃までは神田が行う携帯電話の機種変更や[[金魚すくい]]など、「当たり障りの無い普通の行為に対して浜谷が物騒な例えで大げさに否定する」というスタイルの漫才を主流としていた。その際、浜谷が神田の行動を'''「下衆の極み」、「鬼畜の所業」、「人にあらず」、「地獄の鬼すら反吐吐く所業」、「天に唾する行為」、「人の姿をした悪魔の所業」、「来世人に生まれると思うなよ」'''などの決め台詞で非難する。ネタの締めでは神田が強引に話を終わらせ、浜谷が神田を問い詰めながらも一緒に頭を下げてハケていく形を定番にしている。「下衆の極み」は「[[北斗の拳]]」から[[インスパイア]]されたネタだという<ref>「下衆と女子の極み 強くなりたきゃパンを食え」 p.174</ref>。
**2012年の『[[THE MANZAI (お笑いのコンテスト)|THE MANZAI]]』ではまたもやスタイルを一転させ、「神田の女子的目線から放たれるウザい意見に浜谷が感情的に突っ込み、それに対して神田が奇妙に理論的な理屈でやりこめて浜谷が思わず反省してしまう」というネタを演じ、見事優勝する。このネタ中でも半ば強引に前述の決め台詞を織り交ぜていた<ref name="excite130730"/>。今大会で優勝して以降は、このスタイルを主流としている。
*深夜帯のテレビやラジオでは下ネタを話すこともあるが、ネタにはあまり使わない。
 
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**このうち浜谷は現在も柔道を継続中(所属先・[[吉田道場]]梅丘道場)で2010年第4回吉田道場杯柔道大会で「(当時)35歳以下有段者の部」で3位に入賞。
**神田は2010年ころより足の靭帯断裂など怪我が相次いだうえ、2011年夏に膝の手術を受けたのを期に柔道をやめた(神田自身のtwitterで公表)。
*上述にもあるように「姉弟で事務所が違うことへの配慮」「実力で売れて生きたい」などの理由から、神田はかつてはうのの弟であることをあまりアピールしておらず、弟だからという理由で来たインタビュー依頼を断ったこともある。しかし、姉の結婚発表時や結婚式の時期に[[日刊ゲンダイ]]や各局のワイドショーで取り上げられたりコメントを求められてからは、姉がプロデュースしたパンストをハンカチのかわりに使ってみせたり、「うので〜す。」と発言したり、「お姉ちゃ〜ん見てる?」と画面に手を振るなど、徐々にネタにするようになってきた。
**その様なことや、ほぼ同期で同じ事務所の[[オードリー (お笑いコンビ)|オードリー]]、[[どきどきキャンプ]]が売れ出したため、しばしば「'''[[バーター]]芸人です'''」と自虐的に述べている。また「『顔もそれなりに良くて、頭も良くて、ネタも面白いから次来る』と言われて9年経ってしまった」とも言っている。
*浜谷は間違えてクレアラシルの洗顔料で歯を磨こうとした事がある。また、神田は縁日での女子トイレの行列を屋台と思って並んでしまったり、「テイクアウト」を「テイクオフ」と言ってしまったりした事があるなど、お互い[[天然ボケ]]を思わせる逸話がある<ref>[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]] 2013年8月20日号 ハマカーンインタビュー</ref>。
*浜谷は、うのが結婚した際、祝儀として10万円を納めた。すると神田姉弟の父親から「莫大な財産を頂いてしまって、大丈夫ですか?」と心配された<ref>{{Cite web|url=http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20130730/E1375119552231.html|title=攻めの神田、受けの浜谷。ハマカーン『下衆と女子の極み 強くなりたきゃパンを食え』(1)|publisher=exciteニュース|date=2013-07-30|accessdate=2015-06-15}}</ref>。
*浜谷は、うのが結婚した際に祝儀として10万円を納めたのだが、神田姉弟の父親から「莫大な財産を頂いてしまって、大丈夫ですか?」と心配された事がある<ref>{{Cite web|url=http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20130730/E1375119552231.html|title=攻めの神田、受けの浜谷。ハマカーン『下衆と女子の極み 強くなりたきゃパンを食え』(1)|publisher=exciteニュース|date=2013-07-30|accessdate=2015-06-15}}</ref>。その翌年のお正月に、うのがお年玉と称して浜谷に7万円を戻してくれた。その際「浜ちゃんお祝いありがとう。でも10万円も頂くのは申し訳なくて全額お返ししようと思ったんだけど、それはあまりに失礼だと母に窘められたから3万円だけ頂いて残りはお返しするね」と浜谷本人に言ったという。それに対して紳一郎弟の神田は「姉ちゃんそういうところあるんだよ」と仕方ないといった風にフォローしていた<ref name="excite130730">{{Cite web|url=http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20130730/E1375119552231.html?_p=2|title=攻めの神田、受けの浜谷。ハマカーン『下衆と女子の極み 強くなりたきゃパンを食え』(2)|publisher=exciteニュース|date=2013-07-30|accessdate=2015-06-15}}</ref>。
*うのはハマカーンのライブに[[美川憲一]]と来たことがある。ハマカーンのライブなので自分は目立っちゃいけないと大きな帽子をかぶり顔を隠していたが、その少女マンガに出てくるような帽子が大きすぎて逆に目立ってしまった<ref>{{Cite web|url=http://news.ameba.jp/20141020-76/|title=ざわちん、ものまねメイクで向井理に変身「ポイントは涙袋」|publisher=[[アメーバニュース]]|date=2014-10-20|accessdate=2015-06-15}}</ref>。なお、紳一郎は美川のクリスマスディナーショーに自身の妻と家族と共に出かけた際に、妻を美川に紹介しており、その後美川と家族を含めた全員で写真を撮って貰っていた。また妻は美川から「支えて上げて下さいね」とメッセージを貰っていたという<ref>{{Cite web|url=https://abematimes.com/posts/3651466|title=神田うの、弟・ハマカーン神田伸一郎の結婚を祝福 美川憲一からの言葉も紹介|publisher=AbemaTIMES|date=2018-02-04|accessdate=2018-09-23}}</ref>。
*『THE 今大会MANZAI 2012』優勝直後に明かしたところによると、前年の2011では優勝を意識する余り決勝で緊張がとれず、本来の演技ができなかったという。2012では、これを心配した[[東貴博]]が緊張をほぐすため決勝前夜に二人を呼び、前祝いと称して飲み明かしたのが功を奏した。また神田は優勝が決まった際に感極まって泣きながらその場にしゃがみ込み、司会を務めたナインティナインから「女の子みたい」と突っ込まれていた<ref>「下衆と女子の極み 強くなりたきゃパンを食え」 p.166-171「東さんのようになりたい」の章</ref>。しかし、直後に後ろを振り返ると、何故か[[磁石 (お笑いコンビ)|磁石]]の永沢たかしも号泣しており、神田はその様子を見て「'''何で永沢が泣いてるの?(笑)'''」と思って一気に涙が止まってしまったという。また、この2人が泣く様子を見ていた浜谷は「'''あのメガネの2人が優勝したみたいになってた(笑)'''」と振り返っていた<ref>{{cite news|url=https://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20121228/E1356622792392.html?_p=3|title=千鳥さんだけイヤでしたね。THE MANZAI王者ハマカーンに聞く2(3/5)|newspaper=excite.ニュース|date=2012-12-28|accessdate=2018-09-23}}</ref>
*2014年3月28日から2年間、母校の東京農工大学の広報大使に就任<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20140328-OYT8T00320.htm?cx_thumbnail=05&from=yolsp お笑い「ハマカーン」母校の広報大使に] 読売新聞 2014年3月28日閲覧</ref>。
* 2016年1月に発覚した[[ベッキー]]と[[indigo la End]]、[[ゲスの極み乙女。]]の川谷絵音の不倫疑惑騒動の余波で、浜谷は「'''元祖'''ゲスの極み」と称するようになった<ref>{{Cite web|url=http://www.oricon.co.jp/news/2066643/full/|title=ハマカーン、ベッキー騒動余波で“元祖ゲスの極み”に「諸事情がありまして…」|publisher=ORICON|date=2016-02-10|accessdate=2016-02-11}}</ref>。因みに、奇しくもハマカーンと川谷、休日課長(「ゲスの極み乙女。」メンバー)の4人は同じく東京農工大学出身者である。
=== 神田うのとのエピソード ===
* 上述の通り、神田伸一郎(以下・紳一郎と記述)の姉はハマカーンのデビュー前から既にファッションモデルや女優、タレントなど芸能界の各方面で活動していた神田うの(以下・うのと記述)である。なお、紳一郎が自身の両親にお笑いの道へ進む事を告げた際は猛反対され、家の空気的にも(芸人を目指す事を)辞めなければならない状況であったが、うのだけは家族の中でただ1人「やりたいことをやりなよ」と言ってお笑いへの第一歩を踏み出す背中を押してくれたという。また、ハマカーンのブレイク後、紳一郎とテレビ番組の企画で対談したうのは紳一郎から先述の事を感謝されると「なんで反対するの?向いてる向いてないじゃない。やりたいことやればいいじゃん」と当時を思い出しながらコメントしていた<ref name="uno">{{Cite web|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2017/05/23/0010215508.shtml|title=神田伸一郎、姉・うのから「私の弟でごめんね」|publisher=デイリースポーツ|date=2017-05-23|accessdate=2018-09-23}}</ref>。
** また当時、紳一郎は父親から「どうせ、うのちゃんの力を借りるつもりなんだろう」と言われていた事も明かしており、この父親の一言に対して「俺一人の力でやってやる」と頑なになってしまい、芸人になって暫くは自身がうのの妹である事を公表していなかった。また、まだ売れていない頃は、うのから再三「いろんな人を紹介してあげる」という申し出がありながらも、先述の思いからずっと断り続けていた。その結果、うのから「私の弟でいることがそんなに恥ずかしいの?ごめんね」と謝られてしまい、この思わぬ謝罪に伸一郎は「お姉ちゃんを傷付けてきたと初めて思った」と気づいたという。そして「今思えばちっぽけなプライドだった」と振り返り、以降は積極的に「神田うのの弟」と言って周るようにしたと語っている<ref name="uno"/>。
** まだ姉がうのである事を隠していた時期に、紳一郎はその事を親しい芸人にだけは教えていたが、その当時[[東京スポーツ]]に連載をもっていた[[髭男爵]]・山田ルイ53世からのリークで同紙に記事が出てしまった事がある<ref>{{Cite web|url=http://datazoo.jp/tv/%E8%8A%B8%E4%BA%BA%E5%A0%B1%E9%81%93/625865|title=TVでた蔵「2013年2月26日放送 芸人報道」|publisher=[[ワイヤーアクション (企業)|ワイヤーアクション]]|date=2013-02-26|accessdate=2015-06-15}}</ref>。
* 2017年5月6日に放送された「[[お笑い演芸館]] 5時間スペシャル」(BS朝日)の企画内で、うのがハマカーンとコラボする形で「'''うのカーン'''」を組み、漫才を初披露した(この時、浜谷は「『うのカーン』って、ハマが入ってない」とぼやいていた)。今回の出演を受けてうのは「楽しかった。緊張は私の人生で無縁で~す。オファーを聞いて『やる、やる~』ってすぐOKしました」と語っていたが、紳一郎によれば「(うのは)3ページくらいの台本の1ページ目で『長くない?』って言い出しました」と暴露していた<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1812496.html|title=漫才トリオ「うのカーン」5月お笑い番組でネタ披露|publisher=日刊スポーツ|date=2017-04-24|accessdate=2018-09-23}}</ref>。
*浜谷は、うのが結婚した際に祝儀として10万円を納めたのだが、神田姉弟の父親から「莫大な財産を頂いてしまって、大丈夫ですか?」と心配された事がある<ref>{{Cite web|url=http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20130730/E1375119552231.html|title=攻めの神田、受けの浜谷。ハマカーン『下衆と女子の極み 強くなりたきゃパンを食え』(1)|publisher=exciteニュース|date=2013-07-30|accessdate=2015-06-15}}</ref>。その翌年のお正月に、うのがお年玉と称して浜谷に7万円を戻してくれた。その際「浜ちゃんお祝いありがとう。でも10万円も頂くのは申し訳なくて全額お返ししようと思ったんだけど、それはあまりに失礼だと母に窘められたから3万円だけ頂いて残りはお返しするね」と浜谷本人に言ったという。それに対して紳一郎は「姉ちゃんそういうところあるんだよ」と仕方ないといった風にフォローしていた<ref name="excite130730">{{Cite web|url=http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20130730/E1375119552231.html?_p=2|title=攻めの神田、受けの浜谷。ハマカーン『下衆と女子の極み 強くなりたきゃパンを食え』(2)|publisher=exciteニュース|date=2013-07-30|accessdate=2015-06-15}}</ref>。
*うのはハマカーンのライブに[[美川憲一]]と来たことがある。ハマカーンのライブなので自分は目立っちゃいけないと大きな帽子をかぶり顔を隠していたが、その少女マンガに出てくるような帽子が大きすぎて逆に目立ってしまった<ref>{{Cite web|url=http://news.ameba.jp/20141020-76/|title=ざわちん、ものまねメイクで向井理に変身「ポイントは涙袋」|publisher=[[アメーバニュース]]|date=2014-10-20|accessdate=2015-06-15}}</ref>。なお、紳一郎は美川のクリスマスディナーショーに自身の妻と家族と共に出かけた際に、妻を美川に紹介しており、その後美川と家族を含めた全員で写真を撮って貰っていた。また妻は美川から「支えて上げて下さいね」とメッセージを貰っていたという<ref>{{Cite web|url=https://abematimes.com/posts/3651466|title=神田うの、弟・ハマカーン神田伸一郎の結婚を祝福 美川憲一からの言葉も紹介|publisher=AbemaTIMES|date=2018-02-04|accessdate=2018-09-23}}</ref>。
 
=== 爆笑オンエアバトル ===
== 賞レースの戦績 ==
=== 爆笑オンエアバトル ===
「爆笑オンエアバトル」では2002年度から2008年度まで長きに渡って出場。当番組を代表する常連コンビであり、出場当初から常に安定した成績を残し活躍した。
* 初出場は2003年2月22日放送回([[愛知県]]・[[名古屋市]]収録)で、この時は413KBを記録したものの惜しくも6位敗退となる。因みにハマカーンがオフエアとなったのはこの回と2004年11月27日放送回([[北海道]]・[[北見市]]収録)の2回のみであるが、北見市収録の際も417KBを記録しながら7位敗退となっている。このため番組においては珍しい「'''全ての敗戦回が地方収録で400KB超え'''」となっている。
* 初オンエアは2回目の挑戦となった2003年4月25日放送回で、385KBを記録し5位通過。その後は徐々にKB数を上げていき、2003年11月14日放送回([[香川県]]収録)には自身初となるオーバー500(509KB)及びトップ通過を記録した。この勢いで第6回チャンピオン大会にて初出場を果たしたが、結果はセミファイナルで438KBしか獲得できず9位敗退に終わる。
* 2004年度は先述の通り1度オフエアを喫したものの、オンエアを勝ち取った全ての回において'''450KB以上'''(うち1回はオーバー500)を記録し、2年連続でチャンピオン大会に出場を果たす。更に自身初のファイナル進出も果たしたが、最終的な結果は642KBで9位敗退となる。なお、2005年1月1日放送回(本年度最後の出場回)から2007年11月9日放送回まで'''12戦連続オーバー450KB以上'''を記録(歴代2位)<ref>1位は[[タイムマシーン3号]]が記録した'''15戦連続'''(2004年11月27日~2008年10月16日放送回)。</ref>していた。
* 2005年度も前年と同様に安定した成績を残し、危なげなく3年連続でチャンピオン大会に出場し、2年連続でファイナルにも進出する。ファイナルでは惜しくも2位(894KB)敗退に終わり、[[タカアンドトシ]](946KB)(942KB)の連覇を阻む事は出来なかった。因みにこの年にチャンピオンとなっていれば、番組史上初めて2000年以降に結成したコンビのチャンピオンの誕生となっていった。
* 2006年度は出場した回全てにおいて'''470KB以上'''を記録するという驚異的な安定感を見せつけ、4年連続でチャンピオン大会出場を果たした。3年連続でファイナルにも進出したが、8位(834KB)敗退<ref>なお、このKB数は審査員が200人制となった第4回チャンピオン大会以降で、セミファイナル・ファイナル両方含めて8位にランクインした芸人の最高KBである(2006年度の第9回チャンピオン大会ファイナルは上位5組が900KB台以上、更に上位8組目まで800KB台以上を記録するというかなりハイレベルな回であった)。</ref>に終わった。ファイナルでは[[NON STYLE]]が2000年以降に結成したコンビで初のチャンピオンとなり、先を越されてしまった。因みに今大会終了後に「[[爆笑オンエアバトル#プラチナバトラー&ゴールドバトラー|ゴールドバトラー]]」に認定されている。
* 2007年度は更に安定感に磨きがかかり、5月18日放送回から11月9日放送回まで'''3戦連続で480KB以上を記録(うち2回はオーバー500)し、更に全てにおいてトップ通過を果たす'''という絶好調ぶりであった。ところが2008年2月15日放送回において、まさかの自己最低KBとなる361KB(5位通過)を記録してしまい、2005年1月1日放送回から続いていた「連続オーバー450KB以上」の記録が12でストップしてしまった。更にこの年はチャンピオン大会においても4大会ぶりにセミファイナルで敗退(690KB・8位)となってしまうなど、前半の好調から一転して後半では苦汁を舐めた年となってしまった。
* 2008年度は4月17日放送回に出場予定だったが、'''ハマカーンのネタ中にスタッフがミスでネタが終了する合図となる音声を流す'''という想定外のハプニングが起きてしまったため審査対象外となり、ハマカーンのみ審査および計量は行われなかった<ref>過去に[[はなわ]]が本番中にネタを忘れてしまった責任を取って自ら計量を辞退したり、[[どーよ]]と[[なすなかにし]]がタイムオーバーで失格となって審査対象外となってしまったり、[[キングオブコメディ]]が活動自粛により出場を辞退するなどの例はあったが、'''スタッフ側のミスが原因で審査の対象外となってしまったのは今回のハマカーンが初であった'''。</ref>(そのため、この回は戦績には含まれずノーカウントとなった)。神田は自身のブログでこのことについて「'''ぶつけることの出来ない怒りと悔しさでいっぱい'''。」「'''誰も悪くない。僕らの運が悪かっただけ'''。」<ref>{{Cite web|url=http://kandashin.blog77.fc2.com/blog-entry-403.html|title=さぼりつづき|publisher=ハマカーン神田のただいま勉強中|date=2008-04-01|accessdate=2018-04-30}}</ref>などと嘆いていた。因みにこの回で披露したネタは出場22回目で初となる[[コント]]であった。その後、5月22日放送回にてこのネタで再戦し、見事オンエア(389KB・4位)を果たした。同時に番組内で初めてコントでのオンエアとなった。この年は先述の2月に自己最低KBを記録した事も影響していたのか、中盤まで連勝は重ねていたもののKB数が伸び悩んでいた。しかし12月4日放送回に481KBを記録し、4戦振りにトップ通過及び450KB以上を記録すると、2009年1月15日放送回でも497KBを記録して高得点を連発し、徐々に調子を取り戻していった。この年の年間合計KBランキングでは21位となっており、本来ならばチャンピオン大会出場圏外であったが、この年のランキング上位に位置していた[[オードリー (お笑いコンビ)|オードリー]]と[[イワイガワ]]がスケジュールの都合でチャンピオン大会出場を辞退したため、年間ランキング22位の[[上々軍団]]と共に繰り上げ出場となった。最終的にファイナルまで進出<ref>このため'''番組初の年間ランキング21位以降の芸人によるファイナル進出'''となった。</ref>したものの、5位(786KB)敗退に終わった。2009年度以降は出場していないため、ハマカーンはこの年で事実上の「オンバト」卒業となった。
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* 因みに神田は「爆笑オンエアバトル」を見ていて、触発された事がお笑いを始めるきっかけとなったと番組の公式本で語った事がある。その後、浜谷を誘ってコンビ結成するも浜谷は元々お笑いには興味が無く、お笑いを全てコントだと思っていたとの事<ref>『爆笑オンエアバトル5』(双葉社、69ページ)</ref>。
 
=== THE MANZAI ===
THE MANZAIでは第1回(2011年大会)・第2回(2012年大会)の2度認定漫才師に選ばれ、2年連続で決勝に進出。第2回では見事'''優勝'''を果たした。
;第1回(2011年大会)
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* 今大会は前年のスタイルから一転してボケ・ツッコミを逆転<ref>ただし、時に浜谷が感情的になりすぎた言い回しを見せ、それに対して神田が的確に理論的な理屈で返す場面もあるなど、'''見ようによっては浜谷がボケ、神田がツッコミと捉えられる'''箇所も存在する。</ref>し、上述にもあるように「'''神田の女子的目線から放たれるウザい意見に浜谷が感情的に突っ込み、それに対して神田が奇妙に理論的な理屈でやりこめて浜谷が思わず反省してしまう'''」というスタイルのネタで挑んだ事が功を奏した。このスタイルが出来たのは、昨年の第1回大会終了後、年が明けた後に浜谷が神田に対して「'''もうあなたは何にも考えなくていいよ。普段考えていることをペラペラ話してください'''」と言った事が発端だったという<ref name="hama"/>。更に2人はこの漫才スタイルについて「'''かどっこに追い込まれて、『どうしよう』と思っていたらちょっと隙間があったからスッと入ってみたんですよ。そしたら『THE MANZAI』で優勝できたっていう感じなんです(笑)'''。('''浜谷''')」「テレビでこのネタをやっても、まず『お前ら誰だよ』が先にあるだろうなって。だから、'''こんな漫才が通じるわけがないと思ってました'''。『お前らの漫才、進化したな』って言ってくれる方もいたんですけど、進化でもなんでもないですから(笑)。('''神田''')」「そうなんですよ。'''進化じゃなくて、退化なんです'''。もともとの“神田さん”に戻っただけなんですよ。'''13年かけてツッコミという技術を学んできて、ネタを作る技術を学んできて、13年目に全部捨てたんです(笑)'''。('''浜谷''')」「'''スタイルを変えたっていう意識もなかったですからね'''。月1、2本の新ネタを作っていたら、徐々に僕がツッコまないで浜谷さんがツッコむ要素が増えていったっていう感じで。('''神田''')」などと語っており、悩みに悩みぬいて閃いたのではなく、偶然の産物であった事を告白している<ref name="hama"/>。
** しかし、浜谷は記者からの「お2人が優勝された後、記者の方たちは「どっちがボケでどっちがツッコミって書けばいいの?」と、ちょっと混乱しているようでしたが(笑)。」という質問に対しては「ああ、それはうれしいなぁ…。'''そんな漫才ができたら理想的だなと思っていたことがあったんですよね'''。」としみじみと語っていた<ref name="hama"/>。
* 今大会優勝直後に明かしたところによると、前年の2011では優勝を意識する余り決勝で緊張がとれず、本来の演技ができなかったという。2012では、これを心配した[[東貴博]]が緊張をほぐすため決勝前夜に二人を呼び、前祝いと称して飲み明かしたのが功を奏した。また神田は優勝が決まった際に感極まって泣きながらその場にしゃがみ込み、司会を務めたナインティナインから「女の子みたい」と突っ込まれていた<ref>「下衆と女子の極み 強くなりたきゃパンを食え」 p.166-171「東さんのようになりたい」の章</ref>。しかし、直後に後ろを振り返ると、何故か[[磁石 (お笑いコンビ)|磁石]]の永沢たかしも号泣しており、神田はその様子を見て「'''何で永沢が泣いてるの?(笑)'''」と思って一気に涙が止まってしまったという。また、この2人が泣く様子を見ていた浜谷は「'''あのメガネの2人が優勝したみたいになってた(笑)'''」と振り返っていた<ref>{{cite news|url=https://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20121228/E1356622792392.html?_p=3|title=千鳥さんだけイヤでしたね。THE MANZAI王者ハマカーンに聞く2(3/5)|newspaper=excite.ニュース|date=2012-12-28|accessdate=2018-09-23}}</ref>
* 第2回大会で審査員を務めた[[大竹まこと]]は、ハマカーンとは自身のラジオ番組で共演するなど親交があり、本番前には2人に対して「情けは一切かけないよ」と厳しい姿勢を見せていたが、大会終了後に放送された自身のラジオ番組では「'''ハマカーンが一番面白かったんだよ!'''」と声を震わせるなど手放しで褒め称えていた。その理由を大竹は「'''他のネタは、話の流れからどう笑いを取っていくか分かるのだが、ハマカーンのネタは(観客を)どこ連れて行っていくのか、思いもよらない展開のおもしろさがあった'''。」と説明しており、大絶賛していた。また、神田のフリに対しては「'''キャラに合った無理のない等身大のフリで、実に的確だった'''」「'''よっぽど鍛えたのであろう'''」とも語り、こちらも高く評価していた<ref>{{cite news|url=http://japan.techinsight.jp/2012/12/naomaru201212172354.html|title=【エンタがビタミン♪】『THE MANZAI』審査員・大竹まこと。優勝者・ハマカーンと審査方法について称賛。|newspaper=Techinsight|date=2012-12-18|accessdate=2018-05-01}}</ref>。
* 大会最高顧問の[[ビートたけし]]は今大会のハマカーンの漫才に対して「3組が(ファイナルラウンドに)出たのはわかる。ただ、ほかの2組がちょっと(ネタの)頭のほうを“とちった”な、と。ネタの選択やテンポを間違えた。'''こっち(ハマカーン)のテンポが、みんな笑い疲れたときに、いちばん合った。実力的には変わらないけど、現場の雰囲気がハマった、という感じかな'''。」「納得の3組なんだけど、最後(=ファイナルラウンド)のやり方、負けたほうは間違えたんだなぁ、って。決勝前のほうが全然出来がよかった。ちょっと薄かったよね。'''こっち(ハマカーン)はちょっと上がってた'''。」と評していた<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/owarai/news/81685|title=スタイル変更が吉、ハマカーンのTHE MANZAI優勝会見|newspaper=お笑いナタリー|date=2012-12-16|accessdate=2018-05-01}}</ref>。
* お笑い評論家の[[ラリー遠田]]は今大会でハマカーンが披露した漫才に対し「'''従来のしゃべくり漫才のスタイルを一段進化させて、独自の型を作り出すことができた'''。」と評している。また、「'''ハマカーンの漫才で表現されているのは、日常会話のリアリティだ'''。私たちがふだん会話をするときには、一方的にボケ続ける『ボケ役』や、ただつっこむだけの『ツッコミ役』など存在しない。会話の流れによって、主導権を握る人は移り変わっていくし、誰がまともで誰がおかしいのかは決まっていない。1人が妙なことを言うときもあれば、別の人がもっとおかしなことを口走ってしまうこともある。それらすべてをひっくるめて、人と人との会話は面白い。'''ハマカーンは日常会話のスリリングな面白さのエッセンスを抽出して、漫才の形にまとめることに成功した'''。」「いわばそれは、'''攻撃側と守備側が固定されている『野球』型の漫才ではなく、攻撃側と守備側がめまぐるしく入れ替わる『サッカー』型の漫才'''だ。'''どんな体勢からでも笑いが取れるハマカーンの最新型しゃべくり漫才は、漫才の歴史に名を残す極上の逸品'''だ。」などと語り、かなりの高評価を下している<ref>{{cite news|url=http://news.nicovideo.jp/watch/nw464410|title=お笑い評論家・ラリー遠田が見た『THE MANZAI 2012』徹底批評!|newspaper=ニコニコニュース|date=2012-12-18|accessdate=2018-05-01}}</ref>。
 
=== M-1グランプリ ===
上記の優勝を果たした「THE MANZAI」とは対照的に、結成当初から出場し続けていた「M-1グランプリ」では良い成績を残せず、1度も決勝進出は果たせなかった(7回出場しているが、準決勝に進出できたのは僅か3回のみだった<ref>2002年度は2回戦敗退、2004・2005・2007年度は3回戦敗退、2006・2008・2009年度は準決勝敗退に終わる(2001・2003・2010年度は不参加)。</ref>)。大会自体が復活した2015年度では、出場資格がそれまでの「結成10年以内」から「15年以内」にまで引き上げられたため、出場が可能(と同時にこの年がラストイヤー)であったが、「THE MANZAI」優勝後という事もあってか出場はしなかった。
* 浜谷は「THE MANZAI」優勝後に行われたインタビューにて、「'''『M-1』の決勝大会にはピリピリした空気感のイメージがあったが、『THE MANZAI』にはそういうピリピリ感が無かった'''」と語っている。また「ずっと『M-1』の決勝を目指してやってきて、去年から『THE MANZAI』に変わった時に『'''なんだろう、このやりやすい感じは'''』と思った」「'''(『M-1』よりも『THE MANZAI』の方が)相性が良かった'''」とも明かしている。また、神田は同じくインタビュー内にて「'''『M-1グランプリ』は芸歴7~8年とかの凄い才能のある人たちが、物凄い努力をしてあの舞台(決勝大会)に立つ大会'''で、'''『THE MANZAI』は芸歴10年を超えて『M-1』っていう売れるチャンスを逃した芸人たちに、もう1回チャンスをくれた大会'''」とそれぞれの大会を比較した上で「'''(『THE MANZAI』は)“お笑い芸人の敗者復活戦”みたいなところもあると思うし、こういう大会があるっていう事は凄く有難い'''」と本音を明かしている<ref>{{cite news|url=https://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20121228/E1356622792392.html?_p=4|title=千鳥さんだけイヤでしたね。THE MANZAI王者ハマカーンに聞く2(4/5)|newspaper=excite.ニュース|date=2012-12-28|accessdate=2018-08-29}}</ref>。
* なお、「THE MANZAI」においてはハマカーンに限らず非[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー|よしもと]]系事務所に所属するコンビが決勝進出する事が多い傾向にあり、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のコンビが比較的多く決勝に進出する「M-1グランプリ」とはかなり対照的であった(例としてハマカーンの他に「THE MANZAI」の決勝進出を経験している[[アルコ&ピース]]、[[エルシャラカーニ]]、[[オジンオズボーン]]、[[三拍子 (お笑いコンビ)|三拍子]]、磁石、[[チキチキジョニー]]、[[流れ星 (お笑いコンビ)|流れ星]]、[[Hi-Hi]]などの非よしもと系事務所に所属するこれらのコンビも全て「M-1」の決勝進出経験が1度も無い)。
* 余談だが、「M-1グランプリ」2008年大会の敗者復活戦に出場した際、ハマカーンの前に漫才を披露したオードリーがかなり会場を沸かしていたため、漫才の冒頭で浜谷が思わず客席に向かって「'''皆さん、一旦オードリー忘れましょうかね!'''」と叫んでしまっていた。その後、オードリーは敗者復活戦から勝ち上がり、決勝でファーストラウンドを1位で通過すると、最終的には準優勝(決勝2位)という好成績をおさめた。
 
== テレビ番組への主な出演歴 ==