「ヘルベルト・フォン・カラヤン」の版間の差分

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{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
| Name = ヘルベルト・フォン・カラヤン<br/>Herbert von Karajan
| Img = Herbert von Karajan Conducts in NHK Symphony Orchestra, Tokyo 1954 (01) Scan10015.jpg
| Img = Bundesarchiv Bild 183-S47421, Herbert von Karajan.jpg
| Img_capt = [[1938年NHK交響楽団]]を指揮<br>(1954年4月。船山克撮影)
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== 人物・来歴 ==
[[ファイルFile:Bundesarchiv Bild 183-R92264S47421, Herbert von Karajan.jpg|200px|thumb|指揮をするカラヤン(1941(1938年)]]
カラヤンは[[1908年]]に[[ザルツブルク州]]の[[ザルツブルク]]で、騎士 (Ritter) の子として生まれた。兄のヴォルフガング([[1906年]] - [[1987年]])も後に音楽家になっている。ザルツブルクの[[モーツァルテウム音楽大学|モーツァルテウム音楽院]]と[[ウィーン国立音楽大学|ウィーン音楽院]]で学んだ後、親の買い上げた[[オーケストラ]]によりザルツブルクでデビュー。[[ドイツ]]の[[ウルム]]市立歌劇場の総監督から誘いが来て、[[1929年]]に『[[フィガロの結婚]]』でオペラ指揮者として脚光を浴び、[[1934年]]には同国[[アーヘン]]市立歌劇場で音楽監督に就任した。[[1938年]]の[[ベルリン国立歌劇場]]における[[リヒャルト・ワーグナー|ヴァーグナー]]の『[[トリスタンとイゾルデ (楽劇)|トリスタンとイゾルデ]]』の指揮で国際的にも認められ、これにより、翌[[1939年]]にはベルリン国立歌劇場および[[ベルリン国立歌劇場管弦楽団|ベルリン国立管弦楽団]]の指揮者の地位を得るとともに、イタリアの[[スカラ座|ミラノ・スカラ座]]で[[オペラ]]を指揮することとなった。
 
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== 音楽 ==
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-S64899, Herbert von Karajan.jpg|thumb|カラヤン(1940年)]]
| Img = [[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-S47421R92264, Herbert von Karajan.jpg|thumb|指揮をするカラヤン(1941年)]]
同じく戦後派の指揮者[[カール・ベーム]]は、カラヤンは自分の求める響きが出るまで辛抱強く楽団員を説得していたと述べている(ベームは正反対)<ref>ドイツ「シュテルン」誌、1981年8月20日号</ref>。[[レガート]]を徹底的に使用し、[[ヴァイオリン|高弦]]を鋭くさせ、([[1960年代]]後半から)コンサート・マスターを2人おき、[[コントラバス]]を最大10人と大型化することにより、オーケストラの音響的ダイナミズムと、室内楽的精緻さという相反する要素の両立を実現した。どんなに[[金管楽器|金管]]が鳴っていても、内声や[[ヴァイオリン属|弦パート]]がしっかり鳴っていなければならないことや、低音パートがいくらか先に音を出すことなどを要求した。ライナー・ツェペリッツ(ベルリン・フィルの首席コントラバス奏者)は当時「(オーケストラが)これほどまでの音楽的充実感、正確性を追求できたことは未だかつてなかった。われわれは世界中のどのオーケストラにも優る、重厚で緻密なアンサンブルを手に入れたのだ」との発言を残している。一方で、一部の評論家からは音楽の音響面の美しさばかりを追求し作品の芸術的内容を軽視していると感じられたため<ref>音楽評論家の岩井宏之は「カラヤンは、いかにもスマートで美しい響きを生み出していたものの、作品の中に込められている作曲家その人の、あるいは当の作曲家が生きていた時代の"切なさ"を十分に表出するには至らず、したがって聴き手の心に迫ってくる力が弱かった。(中略)カラヤンがオーケストラに対すると、どんな作品であれ、美しく響かせること自体を目的にしているような趣があり、それが私には不満だった」と述べている(カール・ベーム指揮[[ウィーン交響楽団]]・[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]]の[[四季 (ハイドン)|四季]]のCD <POCG-2328/9>のライナーノート、5頁)。</ref>、「音楽が[[大衆]]に媚びている」「音楽の[[セールスマン]]」などと批判されることもあった。しかし、カラヤンの正確さと完璧さの追求は[[レコード|LPレコード]]時代からその自己演出と相まって一定の評判を得ることに成功し、レコードのセールスと知名度の広がりの面で大きな成功を収めている。