「ハヤシライス」の版間の差分

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文章構成を改訂。なお、典拠不明の説(早矢仕・林合作説)は削除。
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;早矢仕有的説
:丸善創業者の早矢仕有的が考案した、肉と野菜のごった煮にご飯を添えたものが有名となってハヤシライスと称されるようになり、いつしかレストランのメニューにもなったとする説。早矢仕が友人たちに有り合わせの野菜類や肉類を煮込んだ料理を饗応したとも、横浜での勤務医時代に、病院の患者向けの栄養食として考案したとも、丸善に務める[[丁稚]]向けの夜食として考案したともされる<ref name="ibpress" />。[[1935年]]発行の『季刊明治文化研究 第五輯』([[明治文化研究会]])に掲載された『早矢仕有的傳』([[蛯原八郎]]著)ならびに[[1980年]]発行の『丸善百年史』にこの説が掲載されている<ref name="yuuteki">{{Cite web |url=http://www.geocities.jp/yuuteki80/raisu201.html|title=「丸善百年史」と「早矢仕有的傳」|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304141634/http://www.geocities.jp/yuuteki80/raisu201.html |archivedate=2016-3-4|accessdate=2018-10-06}}</ref>。
:ただし、『早矢仕有的傳』においては「話としては是は至極面白いが餘りに面白過ぎる嫌いがないでもない」と指摘し、有的の長男である[[早矢仕四郎]]の言葉として、明治初年以来に有的やその友人が通いつめた洋食屋である[[神田佐久間町]]の三河屋にて、[[明治20年]]([[1887年]])頃までハッシュ・ビーフが流行っており、この「ハッシュ・ビーフ」が「ハヤシ・ビーフ」にいつの間にか転訛したのだ、と述べられている。また、『丸善百年史』では、「これとライスと合せて称したものが、ハヤシライスの語源に違いない。しかし三河屋も有的が贔屓にした料理屋であるから、間接に関係があるといえば、いえないこともあるまい」と記載されている。
:これに対し、早矢仕の子孫である[[丸家稔]]は、『早矢仕有的年譜』においては彼が幕末より西洋医術を学んで[[1868年]]に医院を開業し、そこで栄養失調患者に治療として食べさせたのが始まりと記述されている、と反駁している<ref>[http://www.geocities.jp/maruya80/ ハヤシライスの名前の由来]</ref>。