「ロミー・シュナイダー」の版間の差分

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しかし、フランスでのロミーの成功に反比例するかのように夫マイエンとの仲は冷却化する<ref name="ユルクス129">ユルクス、p.129</ref><ref name="ザイデル330-333">ザイデル、pp.330-333</ref>。マイエンは仕事がうまくいかない憤りやロミーの成功への嫉妬からアルコールと薬物([[バルビツール酸系]]の催眠薬であり[[鎮痛剤]]の[[オプタリドン]])に溺れるようになり、夫婦関係の苦悩からロミーもこの頃からオプタリドンを使用するようになる<ref name="佐々木147">佐々木、p.147</ref><ref name="ユルクス109-110,138">ユルクス、pp.109-110,p.138</ref>。1972年、ロミーとマイエンは遂に別居。ロミーは息子を連れてフランスに居を移した<ref name="佐々木174-176">佐々木、pp.174-176</ref><ref name="ユルクス140-142,156">ユルクス、pp.140-142,p.156</ref>。
 
[[1973年]]、[[ピエール・グラニエ・ドフェール]]監督『[[離愁 (1973年の映画)|離愁]]』、[[フランシス・ジロー]]監督『[[地獄の貴婦人 (1974年の映画)|地獄の貴婦人]]』に主演。地獄の貴婦人でのロミーは金のために躊躇なく人を殺し、その死体を硫酸で熔解し処分、[[自慰]]シーンまであるというドイツ・シシー時代のロミーからは考えられないような役で<ref name="ザイデル337">ザイデル、p.337</ref>、しかもドイツ人役であることも加わり、故国ドイツからは「ずっとそっちに行ってろ!戻ってくるな!」といった内容の手紙がわんさと寄せられた<ref name="佐々木183-184">佐々木、pp.183-184</ref><ref name="ユルクス158-159">ユルクス、pp.158-159</ref><ref name="ザイデル341">ザイデル、p.341</ref>。
 
「私は女優である。シシーだって私とは何の共通する部分もなかった。私はシシーとは別人だったのと同様、この主人公とも別の人間である」<ref name="ユルクス160">ユルクス、p.160</ref><ref name="ザイデル334-335">ザイデル、pp.334-335</ref>