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== ジミ・ヘンドリックスからの影響 ==
リッチー・ブラックモアは、[[ジミ・ヘンドリックス]]の影響を強く受けていることを公言しており、自身のバンドであるブラックモアズ・ナイトでヘンドリックスを偲ぶ楽曲も発表している。ブラックモアが在籍していたディープ・パープルは、デビュー・アルバムでヘンドリックスの演奏(カバー)で有名な「ヘイ・ジョー」をカバーしており、1968年にクリームの解散コンサートの前座を務めた際に、コンサートを見にきたヘンドリックスからパーティに招待されている(ブラックモア本人が直接ヘンドリックスと会ったり話をしたかは不明)。ブラックモアはその後、1969年製ブラックストラトキャスターを入手して1972年中期までトレードマークとし、他にテレキャスターネックを装着したホワイト・ストラトキャスターや、ステージで左用ストラトキャスターを時折使用するなど、ヘンドリックスへの強い傾倒振りを示していた。 ギター破壊などのパフォーマンスもヘンドリックスからの影響だと見る論評も多い(但しブラックモアの場合はネックから破壊するのが定番だった)。ディープ・パープルの初代ベーシストだったニック・シンパーは、ヘンドリックスに会った際「TVで見たけどお前のバンドにいる黒装束のギタリスト(ブラックモア)は凄いな」と言われたという。 ディープ・パープルの「スピード・キング」は、ヘンドリックスの「Fire」がヒントになったという(バンドメンバーのロジャー・グローヴァーの談話、後にブラックモア本人もコメントしている)。ブラックモアが率いていたレインボーのアルバム『STRAIGHT BETWEEN THE EYES(邦題=闇からの一撃)』(1982年)のタイトルは、ジェフ・ベックがブラックモアに語った「ジミの演奏は視覚にストレートなまでに飛び込んでくる」という言葉が元になっている。
 
==使用機材==