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{{OtheruseslistOtheruses|古代エジプトの神|鞄|トートバッグ|ドイツ技術者・軍需大臣|フリッツ・トート}}
 
{{Hiero|トートの一般名<ref>Hieroglyphs verified, in part, in (Budge ''The Gods of the Egyptians'' Vol. 1 p. 402) and (Collier and Manley p. 161)</ref>|
<hiero>G26-t:Z4-A40</hiero>あるいは<br />
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[[ファイル:Louvre-egyptologie-babouin-thot.jpg|right|160px|thumb|ヒヒ型のトート神像([[ルーヴル美術館]])]]
 
'''トート'''([[ギリシャ語]]:'''Θωθ''';:Θωθ;'''トト'''、'''テウト'''<ref>『エジプト神話』157頁で確認できる表記。</ref>とも)は、[[古代エジプト]]の知恵を司る[[神]]。古代エジプトでの発音は、完全には解明されていないが'''ジェフティ'''([[エジプト語]]:''ḏḥwty'')と呼ばれる。
 
聖獣は、[[アフリカクロトキ|トキ]]と[[ヒヒ]]。数学や計量をつかさどる女神である{{仮リンク|セシャト|en|Seshat}}を妻(または妹)としている。
 
== 信仰 ==
主に[[ヘルモポリス]](ギリシア人が名付けた「トトの町」という意味)で信仰された。
 
多くの信仰を集め、長い間、様々な広い地域で信仰されたため、知恵の神、書記の守護者、時の管理人、楽器の開発者、創造神などとされ、王族、民間人問わず信仰された。そのためある程度の規模を持つ神殿には、トートのための神殿が一緒に作られている。
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[[シナイ半島]]では、トルコ石や銅鉱石を採掘に行ったエジプト人の守護者として、「'''遊牧者の主'''」、「'''アジア人を征服するもの'''」と呼ばれている。このシナイでの信仰は、[[ハトホル]]よりも古く[[スネフェル]]王の時代からシナイ半島の碑文に名前が登場している。
 
== 古代エジプト以外でのトート ==
トートは、ギリシア神話の[[ヘルメース|ヘルメス神]]と同一視された。ヘルモポリスの名前もここに由来する。
 
ここからローマ帝国時代に[[ヘルメス・トリスメギストス]]となった。また[[ヘルメス思想]]では、エジプトの知恵が[[タロット]]に残されたと考えられたためタロットは、しばしば「トートの書」とも呼ばれた。
 
近・現代においてもトート(=ヘルメス)は[[オカルト]]で重要な存在であり、[[アレイスター・クロウリー]]は「[[トート・タロット|トートのタロット]]」を制作した。またタロットに関する論文である『{{仮リンク|トートの書 (クロウリー)|label=トートの書|en|The Book of Thoth (Crowley)}}』を執筆している。ただし、この本自体は、トート神とはあまり関係がない。
 
== 脚注 ==
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{{エジプト神話}}
{{EG-stub}}
{{Myth-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:とおと}}
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[[Category:ヘルメス主義]]
[[Category:音楽史]]
 
{{EG-stub}}
{{Myth-stub}}