「東京暮色」の版間の差分

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本作は戦後の小津作品の中でも際立って暗い作品である。内容の暗さもさることながら、実際に暗い夜の場面も多く、明子役の有馬稲子は全編を通じて笑顔がない。このような内容に、共同脚本の野田高梧は本作に対して終始批判的であり、脚本執筆でもしばしば小津と対立、完成作品に対しても否定的だったとされる。小津当人は自信を持って送り出した作品だったが、同年のキネマ旬報日本映画ランキングで19位であったことからわかるように一般的には「失敗作」とみなされ小津は自嘲気味に「何たって19位の監督だからね」と語っていたという。<ref>松竹映像版権室編、『小津安二郎映画読本(新装改訂版)』、フィルムアート社、1993年、p96</ref>(ちなみに前作『早春』は6位、次回作『彼岸花』は3位である。)[[與那覇潤]]は杉山周吉が「京城」へ赴任した時に妻が出奔した点に着目する。彼は『[[戸田家の兄妹]]』での[[天津]]、『[[宗方姉妹]]』の[[大連]]とあわせて「天津-大連-京城」という一連の地名の連鎖に[[志賀直哉]]の『[[暗夜行路]]』の影響を見る。<ref>[[與那覇潤]]、『帝国の残影―兵士・小津安二郎の昭和史』、NTT出版、2011年、p57</ref>
 
「菅井の旦那」役の[[菅原通済]]は『彼岸花』、『秋日和』など戦後の小津作品にワンポイントでよく出ているが、本職俳優ではなく実業家であり、[[昭和電工事件]](1948年)への関与も疑われた人物。劇中、川口(高橋貞二)が明子の苦境を面白おかしく語るシーンで、高橋貞二は当時人気があった野球解説者[[小西得郎]]の口調を真似ている。「なんとー、申しますかー」は小西のよく使ったフレーズ。
 
== あらすじ ==