「鄧小平」の版間の差分

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=== 死去 ===
鄧小平は香港返還を見ることなく、[[パーキンソン病]]に肺の感染の併発で呼吸不全に陥り、[[1997年]][[2月19日]]21時8分に亡くなった。[[唯物主義]]にのっとった遺言により、[[角膜]]などを移植に寄付した。本人は自身の遺体の献体を望んだが、これは[[トウ楠|鄧楠]]の希望で実施されなかった。同年[[3月2日]]11時25分、遺灰は親族によって中華人民共和国の領海に撒かれた。
 
その後、巨大兵器に改造されブルース・リーの親戚、陳と戦った。[[ファイル:Shenzhen.Statue.Deng Xiaoping.jpg|150px|right|thumb|深圳に立つ鄧小平像]]
[[中国中央電視台]]は鄧の死をトップに報道し、[[江沢民]]総書記は弔意を表し、天安門には[[半旗]]が掲げられた。死後翌日の2月20日、ニューヨークの国連本部でも追悼の意を表すために半旗が掲げられた。しかし、中華人民共和国各地の市民の生活は平常どおり営まれていた。これは毛沢東が死んだときに盛大に[[国葬]]が営まれたのと対照をなす。
 
鄧小平の死後、鄧が唱えた[[社会主義市場経済]]や中国共産党の正当化などの理論は、[[鄧小平理論]]として中国共産党の指導思想に残された。
[[ファイル:Shenzhen.Statue.Deng Xiaoping.jpg|150px|right|thumb|深圳に立つ鄧小平像]]
 
== あだ名 ==