「建国神話」の版間の差分

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=== 暦からの考察 ===
『日本書紀』では、神武紀から20代[[安康天皇]]までが「[[儀鳳暦]]」で、[[雄略天皇|雄略紀]]から41代[[持統天皇]]までが「[[元嘉暦]]」によって組まれている([[小川清彦 (天文学者)|小川清彦]]説)<ref>[[遠藤慶太]] 『六国史 -日本書紀に始まる古代の「正史」』 [[中公新書]] 2016年 ISBN 978-4-12-102362-9 p.34.</ref>。中国では元嘉暦の方が成立が古く(445 - 509年)、儀鳳暦が後となる(665 - 728年<!-- 同書 p.34.詳細は両暦の項目も参照 -->)。中国[[南北朝時代 (中国)|南朝]]や百済は元嘉暦を使用し、5世紀の倭が暦法を用いたのであれば、元嘉暦に拠ったとみられる(同『六国史』 p.34)。儀鳳暦が日本に伝わったのは[[唐]]の[[儀鳳]]年間([[7世紀]]末)と考えられ、新羅使などを介してもたらされたともされる(同『六国史』 p.34)。『日本書紀』では持統天皇4年([[690年]])に、両暦を併用した記述があり、これが[[文武天皇]]即位[[697年]]に儀鳳暦一本に置き換わった<ref>同『六国史 -日本書紀に始まる古代の「正史」』 p.35.</ref>。これらの研究から神武紀の[[紀年]]自体は[[7世紀]]末以降に成立したと考えられる<ref>同『六国史 -日本書紀に始まる古代の「正史」』 p.36.</ref>。
 
また神武天皇即位が[[辛酉]]の年の春正月[[庚辰]]朔とするのは、古代中国思想で辛酉年が大変革(革命)が起きるとされたためで(同『六国史』 p.37)、このため[[推古天皇]]9年([[601年]])の辛酉から1260年さかのぼった紀元前660年と設定されたと考えられる<ref>同『六国史 -日本書紀に始まる古代の「正史」』 pp.37 - 38.</ref>。これが天皇(欠史八代)の在位年数と年齢が異様なまでに長い理由とされ(同『六国史』 p.38)、伝わっていた代数には手は加えられなかったために治世・寿命の方を水増しせざるを得なかったと解釈されている(同『六国史』 p.38)。