「戊辰戦争」の版間の差分

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仙台藩の9月10日降伏の経緯に、8月26日から降伏の動きがあったことを示す注釈を付す
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8月21日、二本松周辺まで北上していた新政府軍は、同盟軍の防備の薄かった母成峠から会津盆地へ侵攻し、[[母成峠の戦い]]が行われた。当地には大鳥圭介ら旧幕府軍が防衛していたが兵力が小さく、敏速に突破され若松への進撃を許した。当時会津軍の主力は関東に近い領内南部の日光口(会津西街道)や領外の遠方にあり、若松に接近している新政府軍への備えが劣っていた。またこれらの軍は侵攻してきた新政府軍を側面から牽制することもなく若松への帰還を優先した。こうして会津藩兵と旧幕府方残党勢力は若松城に篭城した。この篭城戦のさなか、[[白虎隊]]の悲劇などが発生した。
 
9月4日、米沢藩が新政府に降伏し、米沢藩主・[[上杉斉憲]]は仙台藩に降伏勧告を行った。その結果もあり10日に仙台藩は新政府に降伏<ref>{{Efn|ただし、仙台藩主伊達慶邦は既に、[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]に新政府への[[謝罪]][[降伏]]の手配を指示し、[[8月29日 (旧暦)|8月29日]]には[[熊本藩]]陣中へ仙台藩士2人を派遣して仙台藩の降伏交渉を始めさせている。 <ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1148555/248 国立国会図書館デジタルコレクション『復古記 第13冊』459頁]~[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1148555/250 463頁] 復古外記 [[平潟]]口戦記 第三 明治元年8月29日 「廿九日、伊達慶邦、使ヲ肥後藩ノ營ニ遣シ、情ヲ陳シ、帰順ノ事ヲ請フ。」 (編著者:太政官、[[長松幹]]、[[藤川三渓]] 出版者:内外書籍 発行:昭和5年(1930年)[[6月27日]]) (2018年10月17日閲覧。)</ref>。}}、22日に会津藩も新政府に降伏した。会津藩が降伏すると庄内藩も久保田領内から一斉に退却し、24日に新政府に降伏した。
 
奥羽越列藩同盟諸藩の降伏後、行き場を失った水戸藩・[[諸生党]]を中心とする旧幕府方残党は[[水戸城]]に侵攻するが、10月1-2日の[[弘道館戦争]]で敗退した。旧幕府方残党は南に敗走し、10月6日、[[下総国]][[匝瑳郡]]松山村付近の[[松山戦争]]で壊滅した。
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== 脚注 ==
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; 注釈
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; 出典
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== 関連項目 ==
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* [[大政奉還]]
* [[王政復古の大号令]]
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* [[箱館戦争]]
* [[青松葉事件]]
 
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