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== 伽藍 ==
* '''大門''' - (仁王門)- 県指定文化財。江戸時代末期の[[嘉永]]3年([[1850年]])再建。高さ16.88メートル、幅17.63メートル、奥行6メートル。
* '''不動堂'''([[八角円堂]]の奥殿と方形の拝殿の合体構造 - 県指定文化財。本尊・錐鑽不動(きりもみふどう)。江戸時代末期の[[嘉永]]3年([[1850年]])建立。[[保延]]6年([[1140年]])に発生した[[錐もみの乱]]の際に覚鑁の命を身代りとなって助けた不動尊で「三国一のきりもみ不動」と呼ばれる。
* '''大伝法堂'''(本堂)''' - 県指定文化財。本尊・金剛界大日如来、脇仏・金剛薩埵と尊勝仏頂。江戸時代後期の[[文政]]10年([[1827年]])再建。
* '''大塔'''(大毘廬遮那法界体性塔) - [[国宝]]。本尊・胎蔵大日如来。高さ40m、幅15mの木造では日本最大の[[多宝塔]]。「多宝塔」とは二層一階建ての塔で、通例、初層([[裳階]])の平面が方形、上層が円形に造られる。この塔も、初層の外見は方形だが、初層内部には円形の内陣が造られており、円筒形の塔身の周囲に庇を付した、多宝塔本来の形式をとどめている。内部には12本の柱が円形に立ち、そのなかに四天柱が立っている。解体修理の際に部材から発見された墨書により、[[文明 (日本)|文明]]12年([[1480年]])頃から建築が始まり、半世紀以上経た[[天文 (元号)|天文]]16年([[1547年]])頃に竣工したと考えられている。また、基部には秀吉に攻められた際の[[火縄銃]]の弾痕が残されている。堂内に入って参拝できる。
* '''大師堂''' - [[重要文化財]]。本尊・弘法大師。大塔とともに秀吉の焼き討ちをまぬがれた建物で、本尊の造立銘から[[明徳]]2年([[1391年]])頃の建立と推定されている。