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'''リトアニア共和国'''(リトアニアきょうわこく、{{lang-lt|Lietuvos Respublika}})、通称'''リトアニア'''({{lang-lt|Lietuva}})は、[[ヨーロッパ]](欧州)の[[共和制]][[国家]]。[[欧州連合加盟国|EU]]・[[北大西洋条約機構|NATO]]・[[経済協力開発機構|OECD]]の加盟国、[[通貨]]は[[ユーロ]]、人口は約325万人、首都は[[ヴィリニュス]]である。
==概要==
[[バルト海]]東岸に南北に並ぶ[[バルト三国]]の中で最も南の国で、西は
なお、欧州のいずれに分類するかは見解が分かれる。[[国際連合|国連]]では[[北ヨーロッパ|北欧]]に分類されるが<ref>[[国際連合]]統計局の分類より。[[:File:Europe_subregion_map_UN_geoschme.svg|地図]] および次の「Northern Europe」参照 [http://unstats.un.org/unsd/methods/m49/m49regin.htm] 2011年2月17日. 2011年4月2日閲覧。</ref>、[[東ヨーロッパ|東欧]]<ref>[http://www.takushoku-u.ac.jp/laboratory/130720peri_resume.pdf 「東欧の金融・経済」 ~EU、ユーロ動向の最前線~]</ref><ref>[http://www.emeraldinsight.com/doi/abs/10.1016/S1530-3535%2804%2905013-7 FAMILIES IN LITHUANIA : Families in Eastern Europe]</ref><ref>[http://www.yivoencyclopedia.org/article.aspx/Lithuania YIVO | Lithuania]</ref>、もしくは[[中東欧]]<ref>[https://src-h.slav.hokudai.ac.jp/election_europe/index.html 中東欧・旧ソ連諸国の選挙データ]</ref>に分類される事もある。
[[第一次世界大戦]]後の[[1918年]]、リトアニア共和国として[[ロシア帝国]]より独立。[[1940年]]に[[ソビエト連邦]]から、翌[[1941年]]に[[ナチス・ドイツ]]からも侵略された。その後、ソ連に再占領されて[[ソビエト連邦構成共和国|ソ連の構成共和国]]の一つとなったが、[[ソ連崩壊]]に伴い[[1990年]]
== 国名 ==
[[リトアニア語]]における正式名称は、
[[日本語]]の表記は「'''リトアニア共和国'''」で、通称「'''リトアニア'''」<ref>[https://jp.mfa.lt/jp/jp/ 駐日リトアニア共和国大使館](2018年10月19日閲覧)。</ref><ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/lithuania/index.html リトアニア共和国]日本国外務省(2018年10月19日閲覧)。</ref>。一部「リトワニア」
=== 由来 ===
[[ファイル:Lietuvos vardas. The first name of Lithuania in writing 1009.jpg|thumb|right|[[1009年]]の年代記に登場するリトアニアの国名]]
[[1009年]][[3月9日]]付け(正しくは[[2月14日]]であったとみられる)の[[年代記]]において "Lituae" と記されたのが、歴史上リトアニアの国名が登場する最初の例である<ref>[[#Baranauskas, 2009|Baranauskas, 2009]]. p. 28.</ref>。これは[[ラテン語]]による表記で、文法上は[[属格]]での表記であり、この[[主格]]は "Litua" となる<ref name="Baranauskas29">[[#Baranauskas, 2009|Baranauskas, 2009]]. p. 29.</ref>。当時 [v] の発音は "u" で表記されていたが、この「リトヴァ」という呼び方は現在でも[[ポーランド語]]をはじめとする[[スラヴ語派|スラヴ諸語]]において用いられている(Litwa または Litva と表記)<ref name="Baranauskas29"/>。
「[[共和国]]」に相当する "Respublika"(レスプブリカ)は、「公共のもの」を意味するラテン語の "res publica"(レス・プブリカ)に由来する。"res"(レス)には「物」や「財産」という意味、"publica"(プブリカ)は「公共の」という意味である。
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=== 先史時代 ===
紀元前15000年頃、当時のリトアニアの大地はまだ[[ツンドラ]]に覆われていたが、狩猟や魚釣りを行っていた[[インド・ヨーロッパ祖語]]の話し手が紀元前2000年から紀元前3000年
=== 中世・近世 ===
「リトアニア」の国名が歴史的な文書に最初に登場するのは[[1009年]]である(''[[#国名|国名]]の節参照'')。
[[1230年代]]に[[ミンダウガス]]がリトアニアの諸部族を統一
[[14世紀]]末までにリトアニア大公国は現在の[[ベラルーシ]]全域、[[ウクライナ]]全域、[[ポーランド]]の一部、[[ロシア]]の一部を領土とする、[[ヨーロッパ]]最大の国家となった<ref>[[#Magocsi, 1996|Magocsi, 1996]]. p. 128.</ref>。東西のはざまに位置していたリトアニア大公国では様々な文化や宗教が入り混ざっていた。リトアニアの支配者らはスラヴ文化・宗教に対して寛容で、また言語など多くの伝統を[[スラヴ語派|スラヴ部族]]から受け入れていった。政治的実体も[[ハールィチ・ヴォルィーニ大公国]]の[[ヴォルィーニ公国]]にあるほどであった。
[[ファイル:Vytautas the great.jpg|thumb|right|150px|[[ヴィータウタス]][[リトアニアの統治者の一覧|大公]]。彼のもとで[[リトアニア大公国]]は最大版図を達成した。絵画は[[17世紀]]に描かれたもの。]]
[[1385年]]、[[リトアニアの統治者の一覧|リトアニア大公]][[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヨガイラ]]は[[ポーランド君主一覧|ポーランド女王]][[ヤドヴィガ_(ポーランド女王)|ヤドヴィガ]]と結婚し、[[ポーランド君主一覧|ポーランド王]]を兼ねるようになった。これを機にヨガイラは[[キリスト教]]を受容、そして[[ポーランド王国]]とのあいだに[[クレヴォ合同]]が結ばれ、[[ポーランド・リトアニア合同]]が形成される。その後、2度の内戦を経て、[[1392年]]に[[ヴィータウタス]]が[[リトアニアの統治者の一覧|リトアニア大公]]となる。彼の治世のもとでリトアニア大公国は最大版図を達成し、中央集権化も進められた。この当時リトアニア大公国における公用語は[[リトアニア語]]ではなく、現在の[[ベラルーシ語]]の原型である[[ルテニア語]]であった。またリトアニア人の大公家を戴いていたものの、その政治的実態はリトアニア(リトゥアニア)人国家ではなく東スラヴ諸部族によるスラヴ人国家であった。
[[1410年]]、ポーランドとリトアニアの協力により、ドイツ騎士団との戦いに勝利を
このとき、リトアニア大公国軍は40部隊から成っていた
ヨガイラとヴィータウタスの死後、リトアニアの貴族はポーランドとの合同を解消し、独自にリトアニア大公を選出しようとした
こうして[[1569年]]、ポーランド王国との
[[1655年]]から[[1661年]]の[[北方戦争]]において、リトアニアの領土や経済はスウェーデン軍によって破壊された。
現在のリトアニアの領土の大半は、この分割によりロシア帝国領となった。[[1831年]]の[[11月蜂起]]、[[1863年]]の[[1月蜂起]]はいずれも失敗に終わり、[[ツァーリ]]はその後ロシア化政策を強化、[[リトアニア語]]による出版物の発行が禁じられ、文化施設や教育機関が閉鎖を余儀なくされた。リトアニア地域はロシア帝国内では[[北西地域 (ロシア帝国)|北西地方]](クライ)と呼ばれる地方に属することとなった。
[[1877年]]の[[露土戦争 (1877年)|露土戦争]]の後、ロシア帝国と[[ドイツ帝国]]の関係が悪化するのに伴い、[[1879年]][[7月7日]]、[[ロシア皇帝]][[アレクサンドル2世]]は、ドイツとの戦いに備えるために[[カウナス]]郊外に[[要塞]]を建設することを承認した。
この時代、[[1868年]]から[[1914年]]までの
=== リトアニア共和国として独立 ===
[[ファイル:Signatarai.Signatories of Lithuania.jpg|thumb|リトアニア独立宣言(1918年2月16日)に署名したリトアニア評議会(タリーバ)のメンバー20名]]
[[第一次世界大戦]]
その後のリトアニアは、[[ポーランド第二共和国|ポーランド]]およびドイツとの領土問題を抱えることとなる。[[1920年]]、ジェリコフスキ将軍率いるポーランド軍はヴィリニュス地域を侵攻、その後この地域にはリトアニア共和国とは別に[[中部リトアニア共和国]]が建国された。中部リトアニア共和国は後にポーランドに編入されたが、リトアニアにとってヴィリニュスは歴史的首都で、憲法でも首都として制定されていたため、その後ポーランドとの
[[File:LithuaniaCountiesDistricts1918-1940.png|thumb|第1次世界大戦後のリトアニアの領土]]
また、ドイツ([[ヴァイマル共和政]]および[[ナチス・ドイツ]])とは[[クライペダ]](メーメル)地方をめぐる[[領土問題]]を抱えていた。第一次世界大戦後、クライペダ地方は{{仮リンク|国際管理地域|en|International zone}}とされていたが、[[1923年]]リトアニア軍が侵攻し、占領した。その後
リトアニア共和国はカウナスが臨時首都とされて以降は議会制民主主義体制がとられていた
=== 第二次世界大戦 ===
[[1939年]]
翌年、ドイツ軍は
[[1944年]]、[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]が再び侵攻し、その後は[[リトアニア・ソビエト社会主義共和国]]としてソ連に編入された。1944年から[[1952年]]にかけて、約10万人の[[パルチザン (軍事)|パルチザン]]がソビエト当局と戦った(「[[:en:Forest Brothers|森の兄弟たち]]」)。約3万人のパルチザン兵士およびその支援者は殺され、その他にも多くが逮捕され、[[シベリア]]の[[グラグ]]へと強制追放された。
=== 独立回復へ ===
{{リトアニアの歴史}}
[[1986年]]以降、ソ連の[[ミハイル・ゴルバチョフ]]政権による[[ペレストロイカ]]や[[グラスノスチ]]を機に、国民運動[[サユディス]]が設立され、その後独立運動へと発展していった。[[1990年]]の[[1990年リトアニア最高会議選挙|リトアニア・ソビエト社会主義共和国最高会議選挙]]でサユディスは大勝利し、その後の[[1990年]][[3月11日]]、初の非共産党員の最高会議議長・[[ヴィータウタス・ランズベルギス]]が独立回復を宣言
世界の複数の国は、ソ連によるリトアニア併合を[[国際法]]的に否認したままであった([[バルト諸国占領#歴史的考慮]]を参照)。リトアニアによる独立回復制限を受けて、[[1991年]][[2月4日]]、[[アイスランド]]が世界に先駆けてリトアニアの独立を承認
[[1991年]][[12月25日]]の[[ソ連崩壊]]後、ソ連軍は[[ロシア連邦軍]]に継承されたが、[[1993年]][[8月31日]]、ロシア連邦軍は
[[2009年]][[5月17日]]、[[2009年リトアニア大統領選挙|大統領選]]が行われ、EUの財政計画・予算担当欧州委員を務める[[ダリア・グリバウスカイテ|ダレ・グリーバウスカイテ]]元財務相が圧勝し、リトアニア初の女性[[リトアニアの統治者の一覧|大統領]]に選出された。グリーバウスカイテは[[2014年リトアニア大統領選挙|2014年の大統領選]]で再選を果たした。
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[[ファイル:LithuaniaPhysicalMap-Detailed.png|thumb|right|250px|リトアニアの地勢図]]
[[ファイル:Sand dunes Curonian.jpg|thumb|upright|[[ネリンガ]]砂丘]]
リトアニア共和国はヨーロッパの北東部に位置する
西部はバルト海と面しており、砂質の海岸がおよそ99km(61.5マイル)広がる。そのうちの38km(24マイル)が
リトアニアの地形は全体的になだらか
[[ヴィシュティーティス湖]]をはじめとする多くの湖や、また[[湿地|湿地帯]]があるのが特徴的である。また[[混交湿地林]]が国土の約33%を覆っている。
フランスの地理学者による算定によれば、ヨーロッパの地理的中心はリトアニアの首都のヴィリニュスの北、数kmの地点になる。
[[植物地理学]]の観点からすると、リトアニアは中欧の特徴と東欧の特徴を合わせ持つ。また[[世界自然保護基金]] (WWF) によれば、リトアニアの領土は中欧[[混交林]]地域 (PA0412) と[[サルマタイ]]混交林地域 (PA0436) の2つの[[エコリージョン]]に分けられる<ref>{{Cite web | url = http://www.worldwildlife.org/wildworld/profiles/terrestrial_pa.html | title = Ecoregions | publisher = WWF US | language=英語 | accessdate=2010-11-15}}</ref>。
=== 気候 ===
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年間平均降水量は海岸部で800ミリ、[[ジェマイティヤ|ジェマイティヤ地方]]高地で900ミリ、リトアニア東部では600ミリである。雪は毎年10月から4月にかけて降る。9月や5月などは[[霰]]や[[雹]]が降ることもある。激しい嵐は東部ではあまり起こらないが、海岸部では頻繁に起こる。
バルト地域における気温に関する記録は、古いものでは250年前にまで
[[2002年]]には、森林および泥炭地における火災が原因で[[旱魃]](干ばつ)も起きている<ref>[[#Sakalauskiene and Ignatavicius, 2003|Sakalauskiene and Ignatavicius, 2003]].</ref>。2006年夏には、他の北欧諸国と同様リトアニアでも熱波に見舞われた。
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=== 行政区分 ===
{{リトアニアの地方行政区画マップ}}
現在の地方行政区画は[[1994年]]より適用されており、[[2000年]]には欧州連合加盟条件を満たすために修正が施されている。リトアニアは3段階の行政区画がある。まず、10の[[郡]]が設置されており、その下に60の[[基礎自治体]]が設置されている。さらにその下には500以上の区が設置されている。
==== 郡 ====
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: 「高地」の意。アウクシュタイティヤで用いられていた言語が[[リトアニア語]]の基礎となった。
* '''[[ジェマイティヤ]]''' {{lang|lt|Žemaitija}} - 北西部
: 「低地」の意。ジェマイティヤで用いられていた言語は現在リトアニア語の一[[方言]]とされている。
* '''[[ズーキヤ]]''' {{lang|lt|Dzūkija}} - 南東部
* '''[[スヴァルキヤ]]''' {{lang|lt|Suvalkija}} - 南西部
* '''[[小リトアニア]]''' {{lang|lt|Mažoji Lietuva}} - 沿海部
: 小リトアニアには現在の
=== 主要都市 ===
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=== 大統領 ===
大統領はリトアニアの国家[[元首]]とされ、5年任期で[[直接選挙]]によって選ばれ、最大で2期10年まで務めることができる。大統領選挙で過半数の票を獲得した候補が大統領に就任するが、いずれの候補も過半数の票を獲得しなかった場合は上位2名の候補による決選投票が行われる。
大統領職は儀礼的なものに
[[2014年リトアニア大統領選挙|2014年に行われた大統領選挙]]では[[ダリア・グリバウスカイテ]]が再選を果たし、二期目を務めている。なお、彼女はリトアニア史上初の女性大統領である。
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=== 国際関係 ===
[[File:Foreign Ministers of Nordic and Baltic countries met in Helsinki, 30.08.2011 (Photographer Eero Kuosmanen).jpg|thumb|2011年8月ヘルシンキで、フィンランド・スウエーデン・ノルウェー・デンマーク・アイスランド・エストニア・ラトビア・リトアニアの8カ国外相会談開催。<br>会談後、バルト三国独立20周年を祝うセミナーが開催された。]]
[[2009年]][[5月4日]]
{{cite web | url = http://www.urm.lt/index.php?-1095894177 | title = List of countries with which Lithuania has established diplomatic relations | date = 2009-05-04 | publisher = Lietuvos Respublikos užsienio reikalų ministerija | location = Vilnius | language = 英語 | accessdate = 2010-12-14}}</ref>。また、6大陸94カ国に在外[[大使館]]を設置しており、大使館を設置していない2カ国に[[領事館]]を設置している。
リトアニアは[[1991年]][[9月18日]]以来、[[国際連合]]加盟国であり、また国連機関やその他国際機関にも加盟している。また[[欧州安全保障協力機構]] (OSCE) や[[北大西洋条約機構]] (NATO) 、[[欧州評議会]]、そして[[欧州連合]] (EU) の加盟国でもある。EUの議会組織である[[欧州議会]]にはリトアニアから12名の議員が選出され、5年ごとに[[普通選挙]]で改選される。2001年5月31日からは[[世界貿易機関]] (WTO) にも加盟しており、現在は[[経済協力開発機構]] (OECD) などへの加盟を目指している。他方で、旧ソ連の[[ソビエト連邦構成共和国|連邦構成共和国]]でありながらも、[[独立国家共同体]] (CIS) には加盟していない。
== 軍事・安全保障 ==
{{Main|リトアニア軍}}
[[ファイル:LT KASP mokymai.jpg|thumb|160px|right|リトアニア国防義勇軍の兵士]]
リトアニアの軍隊は約15,000名の兵士によって結成されており、うち2,400名は非戦闘員である<ref>[http://www.kam.lt/en/human_resource_policy_1062/facts_and_figures.html Personnel size in 1998-2009] ''Ministry of National Defence''</ref>。またその他10万人の志願兵がいる。2008年9月までは[[徴兵制度]]が採られていた<ref name="Ministry of National Defence, Lithuania">{{cite news |url=http://www.kam.lt/index.php/en/168627/ |title= Compulsory basic military service discontinued |publisher=Ministry of National Defence}}</ref>。2004年以降、リトアニアは
リトアニアの国防制度は、国家安全保障戦略に示されている概念「総合的で絶対的な防衛」にもとづいている。リトアニアにおける防衛政策は、リトアニア社会に通常防衛の準備をさせ、リトアニアが西欧の安全保障・防衛機構に統合していくことを目的とする。国防省は戦闘部隊、捜索救難、諜報機関を管轄する<ref name="WB">{{cite web|url=http://www.kam.lt/EasyAdmin/sys/files/BK-En1.pdf |title=White Paper Lithuanian defence policy |language=リトアニア語 |publisher=Kam.lt |date= |accessdate=2010年4月25日}}</ref>。リトアニアに設置されている軍種は以下の通り。
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また、5400人からなる国境警備隊は内務省の管轄下に置かれ、[[国境]]の保護、[[パスポート]]および[[関税]]の管理を担当する。また、海軍と共同で[[密輸]]や[[麻薬]]取引などを取り締まる。
ロシアによるとみられる[[サイバー攻撃]]が頻発しており、2016年に「ナショナル・サイバー・セキュリティー・センター」を設立して防衛体制を強化している<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36426750S8A011C1FF8000/ 「リトアニア、米軍駐留要請/スクバリネリス首相に聞く/ロシア脅威 サイバーでも」]『日本経済新聞』朝刊2018年10月13日(国際面)2018年10月19日閲覧。</ref>。
== 経済 ==
[[ファイル:European union emu map en.png|thumb|欧州為替相場メカニズム]]
[[国際連合|国連]]の分類によれば、リトアニアは平均所得の高い国に位置づけられており、鉄道、空港、4車線の高速道路などの近代的なインフラが整備されている。しかしそれでもリトアニアの所得水準は[[欧州連合]] (EU) に[[2004年]]の拡大前から加盟していた国よりも低く、[[国際通貨基金|IMF]]のデータによれば、リトアニアの1人
EU加盟直前の[[2003年]]、リトアニアの経済成長率はEU加盟国および加盟候補国の中で最も高く、第3四半期には8.8%に達した。その後2004年にEUに加盟し、2004年には7.4%、[[2005年]]7.8%、[[2006年]]7.8%、[[2007年]]8.9%、[[2008年]]第1四半期には7.0%の[[国内総生産|GDP]]成長率を記録した<ref>Department of Statistics to the Government of the Republic of Lithuania. "[http://www.stat.gov.lt/lt/catalog/download_release/?id=2247&download=1&doc=1480 National Accounts of Lithuania 2006]." p. 20.</ref>。
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公式データによれば、EU加盟は海外からの発注の増加や観光業への後押しといった経済成長をもたらしている。それまでの通貨である[[リタス]]は[[2004年]][[6月28日]]より[[欧州為替相場メカニズム|ERM II]]の対象通貨となっており、1[[ユーロ]]=3.45280リタスで固定されていた<ref>[http://www.lb.lt/home/default.asp Lietuvos Bankas]</ref>。2015年1月1日に[[ユーロ]]へ移行した。
リトアニアの貿易は多くがEU圏内で行われており、2009年は輸出の64.2%、輸入の59.1%が対EU諸国であった。その他の国では、
2001年には[[世界貿易機関]] (WTO) の一員ともなった。国有企業、特にエネルギー部門におけるそれの大規模な民営化が開始されており、現在も進行中である。
リトアニアの経済構造は知識集約型経済へと少しずつ着実に移行してきており、とりわけ[[生物工学|バイオテクノロジー]]や[[レーザー]]産業が特に
失業率は近年上昇傾向にあり、2010年第2四半期の失業率は18.3%である<ref>"[http://www.stat.gov.lt/en/news/view/?id=8310&PHPSESSID=3bf8251ceac47435c3f6a7c4fe6f3a38 Changes in the Unemployment Rate in II Quarter 2010: The Unemployment Rate in II Quarter 2010 Reached 18.3 Per Cent.]" リトアニア統計局ホームページ. 2010年8月24日. 2010年11月17日閲覧。</ref>。また、1日1ドル([[貧困線]])以下で暮らしている人の数は国民の2%にも満たない<ref>[http://www.who.int/quantifying_ehimpacts/national/countryprofile/lithuania.pdf Country Profiles of Environmental Burden of Disease: Lithuania]. [[世界貿易機関|WTO]]. 2009年. 2010年11月17日閲覧。</ref>。
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在リトアニアのポーランド人に対しては、ポーランド語の教育が行われている。(ポーランドにとって、リトアニアは、ポーランド語の教育が学校でなされている唯一の外国である。)
また、中世にヨーロッパ各地から
ソ連からの独立時に、住民
=== 年齢構成 ===
657 ⟶ 659行目:
==== 初等・中等教育 ====
リトアニアにおいては
リトアニアでは、464,638人の生徒が初等・中等教育(7〜16歳児が対象)を受けている([[2008年|2008]]-[[2005年|09年]])。これらの教育は[[リトアニア語]]で行われるものが多く、全体の92.4%(429,335名、2008-09年)の生徒がリトアニア語で学ぶ。その他の言語で学ぶ生徒の割合は、[[ロシア語]]が4.2%(19,676名、2008-09年)、[[ポーランド語]]が3.2%(15,064名)と続く。ほかにも、伝統的に[[ベラルーシ語]]で教育を行う学校が1校あるほか、近年[[フランス語]]で行う学校も1校設立された。英語による学校も1校存在する<ref name=edu08>[http://www.stat.gov.lt/en/catalog/download_release/?id=3319&download=1&doc=1582 Education 2008]. リトアニア共和国統計局. 2009年7月11日閲覧.</ref>。
665 ⟶ 667行目:
==== 高等教育 ====
{{main|リトアニアの大学の一覧}}
主な高等教育機関としては[[大学]]などが挙げられ、約144,300人の学生が国内に22ある大学に在籍している(2007年9月
大学・短大では[[経営学]]を学ぶ者が最も多く、次いで[[教育学]]、[[工学]]、[[法学]]、[[保健|保健学]]、[[社会学]]・[[行動科学]]、[[建築学]]、[[計算機科学|コンピュータ]]と続く。近年経営学を学ぶ学生数が急増しており、[[2004年]]の学生数は[[2000年]]の約3倍となった<ref name=fandf>[http://www.smm.lt/en/stofedu/docs/Education_in_Lithuania_Facts_and_Figures_2006.pdf Education in Lithuania Facts and Figures 2006] リトアニア共和国文部科学省. 2009年4月16日閲覧.</ref>。
671 ⟶ 673行目:
修士課程においても経営学を学ぶ学生が最も多く、次いで法学、教育学、工学、社会学・行動科学、保健学と続く<ref name=fandf />。
留学生が占める割合は非常に少なく、全体の約0.4%に
== 生活・文化 ==
689 ⟶ 691行目:
[[ファイル:Mazvydo katekizmas.jpg|thumb|left|150px|初めて印刷されたリトアニア語による本(マルティナス・マジュヴィーダス著)]]
中世、リトアニアにおける文学の多くは当時の学術言語であった[[ラテン語]]で書かれた。[[リトアニアの統治者の一覧|リトアニア王]][[ミンダウガス]]による[[勅令]]はその一例である。また、[[ゲディミナス]]大公の手紙もリトアニアにおけるラテン語で書かれた重要な著作物の例である。
[[16世紀]]になると[[リトアニア語]]による著作が登場する。1547年、マルティナス・マジュヴィーダス (Martynas Mažvydas) がリトアニア語で『平易な語による[[カテキズム|教理問答]]』 (Catechismusa Prasty Szadei) を編纂
16世紀から17世紀におけるリトアニア文学は主に宗教に関するものだったが、その後、[[啓蒙時代]]になると[[クリスティヨナス・ドネライティス]] (Kristijonas Donelaitis) が登場し、それまでの宗教中心のリトアニア文学を変えた。彼の著した「春の喜び」「夏の働き」「秋の幸」「冬の不安」の四篇からなる『一年』は国民的[[叙事詩]]であり、リトアニアの創作文学の礎を築くものであった<ref name=INST>Institute of Lithuanian Scientific Society.[http://anthology.lms.lt/ Lithuanian Classic Literature] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20050204191505/http://anthology.lms.lt/ |date=2005年2月4日 }}. 2009年2月16日閲覧.</ref>。
[[19世紀]]前半のリトアニア文学は[[古典主義]]、[[感情主義]]、[[ロマン主義]]の特徴が合わさったものであった。当時の代表的作家としては、アンタナス・ストラズダス (Antanas Strazdas) 、ディオニザス・ポシュカ (Dionizas Poška) 、シルヴェストラス・ヴァリウーナス (Silvestras Valiūnas) 、マイロニス (Maironis) 、シモナス・スタネヴィチュース (Simonas Stanevičius) 、シモナス・ダウカンタス (Simonas Daukantas) 、アンタナス・バラナウスカス (Antanas Baranauskas) などが挙げられる<ref name=INST/>。ロシア帝政下にあったリトアニアではリトアニア語による印刷物の発行が禁じられており、そのため本を密輸する地下運動([[クニーグネシェイ]] Knygnešiai)が行われるようになった。
720 ⟶ 722行目:
=== スポーツ ===
リトアニアで最も盛んなスポーツは[[バスケットボール]]である。国内にはプロ・リーグおよび教育リーグがあり、またナショナル・チームは[[ソウルオリンピック]]で男子代表が金メダルを獲得するなど数多くの世界大会で実績を残している。[[FIBAランキング]]でもリトアニアは2010年
▲リトアニアで最も盛んなスポーツは[[バスケットボール]]である。国内にはプロ・リーグおよび教育リーグがあり、またナショナル・チームは[[ソウルオリンピック]]で男子代表が金メダルを獲得するなど数多くの世界大会で実績を残している。[[FIBAランキング]]でもリトアニアは2010年現在で男子世界5位となっており<ref>[http://www.fiba.com/pages/eng/fc/even/rank/p/openNodeIDs/943/selNodeID/943/rankMen.html FIBA Ranking for Men]. FIBA. 2010年11月21日閲覧.</ref>、17歳以下の部門では世界2位となっている<ref>[http://www.fiba.com/pages/eng/fc/even/rank/p/openNodeIDs/17814/selNodeID/17814/rankYouth.html FIBA Ranking for Boys]. FIBA. 2010年11月21日閲覧.</ref>。[[NBA]]プレーヤーも多く輩出しており、[[アルヴィーダス・サボニス]]、[[シャルーナス・マルチュリョニス]]、[[リナス・クレイザ]]、[[シャルーナス・ヤシケヴィチュス]]、[[ジードルーナス・イルガウスカス]]といった[[バスケットボールリトアニア代表|リトアニア代表]]選手がNBAやヨーロッパのリーグで活躍した。
プロ・[[アイスホッケー]][[アイスホッケー選手一覧|選手]]も人気で、[[ディフェンス (アイスホッケー)|ディフェンス]]の[[ダリュス・カスパライティス]]や[[フォワード (アイスホッケー)|右ウィング]]の[[ダイニュス・ズブルス]]などが[[ナショナルホッケーリーグ|NHL]]で活躍している。
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=== 健康 ===
[[2009年]]におけるリトアニアの新生児の平均余命は男性66歳、女性78歳であり、これは[[欧州連合]]の中でも最も男女差が大きく、また男性の平均余命は最も低いものである。[[2008年]]における新生児の死亡率は1,000人
リトアニアの[[自殺]]率はソ連からの独立回復期から急激に上昇し、現在ではリトアニアは世界で最も自殺率の高い国の一つとなっている。しかし近年はその自殺率も低下傾向にあり、[[世界保健機関]] (WHO) によると、リトアニアの10万人
リトアニアはまた、欧州連合の中で殺人発生率が最も高い<ref>{{cite web|url=http://www.delfi.lt/news/daily/crime/article.php?id=19885621 |title=More people are killed in Lithuania than anywhere in the EU |publisher=Delfi.lt |date= |accessdate=2010年4月25日}}</ref>。
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