「ケントゥリア」の版間の差分

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==沿革==
ケントゥリアが登場するのは王政ローマの[[セルウィウス・トゥッリウス]]の治世からである。この先進的な王は自軍の現状を把握するために初めてローマの[[国勢調査]]を行い、ローマ軍を構成する市民を財産に応じて6つの階級で分け、さらに各自の階級ごとを100人からなる集団で細かく分けた。これがケントゥリアの始まりである。そしてケントゥリアは全部で193に構成された。また定員数は必ずしも100とは限らず、同じ階級で兵士を揃える事が優先されたので各々の数にバラつきがあった。また初期においては、この集団は以下で述べるようにローマの民会の社会制度([[ケントゥリア民会]])としての役割も担っていた。
 
ケントゥリアがより[[ローマ軍]]の軍制としての傾向を強めていくのは[[マリウスの軍制改革]]に始まる。それまで兵士各自の所得に応じて区分されていた軍団を再編成、今まで兵役を免れていた無産階級にも登用の門戸を開き、貧富の差、年齢の区別をなくし、それまで軍の中心的役割を担っていた[[マニプルス]]に代わり[[コホルス]]とケントゥリアがローマ軍の要となる。とくに、今まで軍事的には兵士の単位程度の意味に過ぎなかったケントゥリアに軍事的な重要性が大幅に強まった。