「平田篤胤」の版間の差分

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本居宣長は、古典に照らして、人の魂はその死後、黄泉に行くと考えたともされる。黄泉の国は良くない国であり、そのことは逃れのないことで、だから死ぬことほど悲しいことはないと述べた。悲しいものは悲しいのであり、その現実をそのまま受け入れるべきだと説いた<ref name=nishioka215/>。宣長の門人で篤胤に大きな影響を与えた服部中庸も同様に死者の魂は黄泉国に行くとした。ただし、中庸は黄泉国は空に浮かぶ[[月]]のことであり、その世界は[[須佐之男命]]([[月読命]]と同神だという)が治めていると考えた。
 
一方、篤胤は、他の学者のように他界を現世と切り離して考えたりはしなかった<ref name=nishioka215/>。黄泉の国の存在は認めたが、人は後、黄泉の国ではへいく霊と、神にる霊とに分かれ、よ志をもっていた人の霊は神となって、神々の国である幽冥界へ行くのだとしたのである<ref name=nishioka215/>。篤胤は、現実の習俗などから類推して、死者の魂は、死者の世が異に行へおもむのは間違いないが、その異界は現世のあらゆる場所に遍在しているとした<ref name=nishioka215/>。そして、神々が[[神社]]に鎮座しているように、死者の魂は[[墓]]上に留まるものだと考え<ref name=nishioka215/>。現世からはその幽界をみることはできないが、死者の魂はこの世から離れても、人々の身近なところにある幽界にいて、現世のことをみており、祭祀を通じて生者と交流し、永遠に近親者・縁者を見守って行くのだとした<ref name=nishioka215/>。これは[[近代]]以降、[[民俗学]]が明らかにした日本の伝統的な他界観に非常に近いといえる<ref name=nishioka215/>。逆に言えば、民俗学は、平田国学の影響を強く受けているということでもある。現世は仮の世であり、死後の世界こそ本当の世界であるとした。これはキリスト教の影響である。篤胤は、キリスト教の教典も、『古事記』や仏典などと同じように古の教えを伝える古伝のひとつとして見ていたのである。
 
篤胤によれば幽界は、[[大国主命]]が司る世界だという。大国主命がみずから退隠した勇気によって死後の安心は保証されているとしている<ref name=1000ya/>。大国主命は死者の魂を審判し、その現世での功罪に応じて褒賞懲罰を課すとしているが、死者が受けるその懲罰について、篤胤は詳細を述べていない。これは、篤胤の関心があくまで、この世における人生の不合理性の解決・[[救済]]にあり、為政者が望むような倫理的な規範の遵守を説くものではなかったことを示している。
現世は仮の世であり、死後の世界こそ本当の世界であるとした。これはキリスト教の影響である。篤胤は、キリスト教の教典も、『古事記』や仏典などと同じように古の教えを伝える古伝のひとつとして見ていたのである。
 
==== 大国主命の主宰神説 ====
篤胤によれば幽界は、[[大国主命]]が司る世界だという。大国主命は死者の魂を審判し、その現世での功罪に応じて褒賞懲罰を課すとしているが、死者が受けるその懲罰について、篤胤は詳細を述べていない。これは、篤胤の関心があくまで、この世における人生の不合理性の解決・[[救済]]にあり、為政者が望むような倫理的な規範の遵守を説くものではなかったことを示している。
 
この大国主命の幽冥界主宰神説は、篤胤以降復古神道の基本的な教義となり、近代以降の神道および政教関係を大きく方向付けることとなった[[1881年]](明治14年)の[[祭神論争]]の出雲派の敗北で、公的には否定されるが、現在でも多くの神道系宗教で受け入れられている。
 
幽冥界の全体の主宰神は大国主であるが、各地のことはその土地の[[国魂神]]、[[一宮]]の神や[[産土神]]・[[氏神]]が司るとした。この発想は[[六人部是香]]に受け継がれ、発展させられている。
 
=== 「御国の御民」論と「みよさし」の論理 ===
篤胤の復古神道と、それと結合した「古道の学問」は、一方ではスメラミコトやアキツミカミが高く位置づけながらも、もう一方では日本を成り立たせている一人ひとりを、身分を超越したかたちで「御国の御民」と呼び、主体性をになうものとして理解している<ref name=miyaji28/>。「この平篤胤も神の御末胤(みすえ)にさむろう」「賤(しず)の男(お)我々に至るまでも神の御末に相違なし」と述べているように、[[一神教]]における神と人間の隔絶した関係とは異なる、神と人との親和的なありかたが示されている<ref name=miyaji28/>。厳然とした身分制が存在する幕藩体制下にあって、平田国学では天皇との関係で自らを位置づけ、「何々国の御民某」というかたちで表記するのである。日本を構成する66州がその国の御民から成り、御民によって支えられていることが示される。ここに[[地域主義]]的なゆるやかな横のつながりのなかから日本人としての国民意識が芽生えていく<ref name=miyaji28/>。
 
一方、現実には神孫たる天皇と[[征夷大将軍|将軍]]を頂点とする支配体制とをいかに整合していくかが求められるが、これについては、「みよさし(委任)」の論理が用いられた<ref name=miyaji28/><ref name=katurajima74/>。これは「御国の御民」論と結びつくことによって、きわめて一般的な政治論理へと成長してゆく<ref name=miyaji28/>。村落指導者たちは、依然として被支配階級にありながら、天皇や幕府・藩から政治を委任された存在としてみずからを規定し、幽冥論によって得られた内面的な安心を拠りどころとして、荒村状況と称される近世後期の村落共同体の崩壊を克服しようとする、強い実践性が促される<ref name=miyaji28/><ref name=katurajima74/>。一方では[[村役人]]として自己の行政下におく一般民衆・百姓に抗議秩序を具体的に説明する際に利用し、他方では、それぞれに割り当てられた職分を遂行できない上層に対する義憤・公憤を噴き出させる武器となった<ref name=miyaji28/>。しかも、自らの行動全体が幽冥界から見守られているのである<ref name=katurajima74/>。
 
篤胤の論理は、村落指導者に対し、強い自覚と責任を呼び覚ますものだったのである<ref name=miyaji28/><ref name=katurajima74/>。
 
 
 
== 著書 ==