「メアリー (スコットランド女王)」の版間の差分

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メアリーは再婚相手について検討を始めた。候補として名前が挙がったのは、オーストリアの[[カール2世 (オーストリア大公)|カール大公]]、[[スウェーデン]]の[[エリク14世 (スウェーデン王)|エリク14世]]、[[デンマーク]]の[[フレゼリク2世 (デンマーク王)|フレゼリク2世]]、フランスの[[ヌムール公]][[ジャック・ド・サヴォワ=ヌムール|ジャック・ド・サヴォワ]]などだった。中でも特にメアリーが関心を示した相手は、有力なカトリック国[[スペイン]]の国王[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]の息子[[カルロス (アストゥリアス公)|ドン・カルロス]]であった。しかし、[[カトリーヌ・ド・メディシス]]やエリザベス1世に政治的な動機で妨害されるなど、様々な理由から、いずれの相手とも結婚に至ることはなかった。
 
やがてメアリーは、1565年2月18日に出会ったステュアート家傍系の従弟ダーンリー卿[[ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)|ヘンリー]]との結婚を考えるようになるが、これにもマリ伯やエリザベス1世が強硬に反対した。特にエリザベス1世は、メアリーと同じくヘンリー8世の姉[[マーガレット・テューダー]]の孫で、イングランドの有力な王位継承権を持つダーンリー卿との結婚によって、メアリーの王位継承権が強化されることを恐れた。そこでダーンリーにすぐさまイングランドに戻るよう命令し、従わないと反逆罪と見なすとして、ダーンリー卿の母{{仮リンク|[[マーガレット・ダグラス|en|Margaret Douglas}}]](マーガレット・テューダーの娘でジェームズ5世の異父妹、エリザベスの従姉)を[[ロンドン塔]]に幽閉したが、ダーンリー卿は従わなかった。しかし、エリザベス1世と首相の[[ウィリアム・セシル (初代バーリー男爵)|ウィリアム・セシル]]は、性格的に弱いダーンリー卿をスコットランドに送り込むことにより、スコットランドの国力低下を計ろうとしたという説もある。
 
[[1565年]][[7月29日]]、メアリーはダーンリー卿と再婚した。メアリーはヘンリーに対し、王族にしか与えられなかったロス伯、[[オールバニ]]公の位を与え、また王位継承もあらためて与えるなどして、多くの貴族の反感を買った。しかし、両親から甘やかされてきたヘンリーの傲慢な性格がわかるにつれて、メアリーの愛情も冷めていった。やがて[[ピエモンテ州|ピエモンテ]]人の音楽家で、有能で細やかな気づかいをする秘書の{{仮リンク|デイヴィッド・リッチオ|en|David Rizzio}}を寵愛し、重用するようになった。