「同君連合」の版間の差分

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;スウェーデン王と[[ヘッセン=カッセル方伯]]([[1730年]] - [[1751年]])([[ヘッセン王朝|ヘッセン朝]])
;スウェーデン王とノルウェー王([[1814年]] - [[1905年]])([[ホルシュタイン=ゴットルプ王朝|ホルシュタイン=ゴットルプ朝]] - [[ベルナドッテ王朝|ベルナドッテ朝]]、 [[スウェーデン=ノルウェー]])
:[[ナポレオン戦争]]の結果、[[キール条約]]によってスウェーデンがデンマークからノルウェーを獲得。スウェーデンとノルウェーの地位は対等に近かった。
 
[[北ヨーロッパ|北欧]]の諸民族は文化的、言語的にきわめて近しく、同一[[民族]]であるとする考えもある([[19世紀]]にはドイツのように統一国家になることが真剣に検討されたほどである)ため、同君連合の形態が多い([[汎スカンディナヴィア主義]])。例えばドイツなどにおいて、[[領邦]]の封建領主が断絶したときに、領邦内の有力者を後継者とするより、ドイツ内の別の[[封建領主]]を後継者とすることが多かったことに似ている。実際には北欧においても、[[ドイツ人|ドイツ系]][[諸侯]]が国王に迎えられたことが少なくなかった。