「スクール☆ウォーズ」の版間の差分

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東都体育大学出身元日本代表の名フランカーだった滝沢賢治は、現役引退すると川浜市教育委員会に勤務し、ラグビー指導などをしていた。それに目をつけた市立川浜高校の山城晋平校長から川浜高校体育教師の職にと懇願されたが、その悪いことなら県下一のワースト校が川浜高校であったため、妻・節子は反対した。しかし、一方では賢治の夢は教師になることで、悩み抜いた末、川浜高校に赴任した。
 
賢治が赴任してからは、ラグビー部の上級生たちによる反抗や、不良たちの嫌がらせに耐えつつも、心ある一部の部員や教師、周りの人々たちに支えられ、自らの手腕をもってラグビー部や校内の環境は徐々に改善されていった。後にラグビー部の監督に就任してからは弱体チームとして県大会に挑み、後々に宿敵になる相模一高に109-0で大敗し、打倒・相模一高を目標にして猛練習に励んだ末、部員の不治の病による死に直面しながらも、練習試合で因縁の相模一高に勝利。後に新任の岩佐校長により部活動が勉強の妨げになるというポリシーの下、ラグビー部存続の条件としてテストにおいて好成績を収めるべく試練を課せられたが、これも部員らのチームワークによって克服し、ラグビー部の休止を免れた。そして数々の苦難を越えながら、県大会での優勝をはじめ、[[国民体育大会|国体]]においての城南工大高との同点優勝、全国大会への進出、決勝へと進撃する。オープニングの主題歌「ヒーロー」の前奏では、モデルとなった伏見工業高校vs[[常翔学園中学校・高等学校|大阪工業大学高校]]の決勝戦([[第60回全国高等学校ラグビーフットボール大会|第60回大会]]決勝 [[1981年]][[1月7日]])の[[キックオフ]]前後の映像が流れる<ref>ただし、第25話および最終回の花園ラグビー場の場面では、第60回大会ではなく、番組放送期間中に開催された[[第64回全国高等学校ラグビーフットボール大会|第64回大会]]の看板が写っている。なお実際の第64回大会優勝校は[[秋田県立秋田工業高等学校|秋田工]]。</ref>。
 
=== キャスト ===