「オープンフィンガーグローブ」の版間の差分

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「何らかの道具を新案して、当てる蹴るの練習をする必要がある。僕はいま、ゴム製の拳闘用手袋風にして、指が一寸ばかり(約三センチ)出るようなものを新案中だ。それから、軽い丈夫な面を、これもゴム製にして、目と鼻腔の呼吸をなし得るものを新案中だ。胸は撃剣の胴のようなものをつけてもよい。これで当てることと蹴ることの練習をやる。それから袖をとりに来る手の逆を取ること。以上の練習は柔道家には、ぜひとも必要と考える。」<ref>『世界横行・柔道武者修行』前田光世・記</ref><ref>『―日本プロレス秘話―力道山以前の力道山たち』小島貞二 三一書房</ref>
 
[[1927年]]、[[東京大学|東京帝国大学]]の[[唐手]]研究会が[[剣道]]の[[籠手]]をベースにして製作し、[[防具付き空手]]の発祥となった<ref name = "近代空手歴史">{{cite book|和書|author=[[儀間真謹]] |author2=[[藤原稜三]] |date=1986-10 |title=対談・近代空手道の歴史を語る |publisher=ベースボール・マガジン社 |isbn=4583026064 |page=147 }}</ref>。この時は同時に[[手]]以外の[[胴体]]・[[頭]]を保護するものも合わせて製作された<ref name="近代空手歴史" />。[[1945年]]以降、[[韓武舘]]・[[少林寺流空手道錬心舘|錬心舘]]・[[錬武舘]]などに引き継がれ、[[1967年]]には[[極真会館]]も発表しており、これらの団体はオープンフィンガーグローブのみではなく、全身の防具の一つとして製作されている。さらに[[ブルース・リー]]がその頃、[[ジークンドー]]の練習具として今の形に近いものをすでに開発していた。<ref>{{Cite journal |和書 |title = 全日本空手選手権大会の構想進行中 |date = 1967-06 |publisher = |journal = 近代カラテ |volume = 12 |number = 14 }}</ref><ref>{{Cite book |和書|author = 大山倍達 |authorlink = 大山倍達 |year = 1967 |title = ダイナミック空手 |publisher = 日貿出版 |ncid=BA66358869}}</ref><ref>{{Cite book |和書|author = 大山倍達 |authorlink = |year = 1969 |title = 100万人の空手 |publisher = 東都書房 |chapter = 第八章 |quote = これが新しい空手だ |ncid=BA66250705}}</ref>。[[1977年]]には[[アントニオ猪木]]が[[チャック・ウェプナー]]との試合で[[佐山聡]]が試作していたオープンフィンガーグロープを使用。佐山は[[修斗|シューティング]]を創始した際に、「打・投・極」がスムーズに行えるように早くからオープンフィンガーグローブを採用し、ほとんどの[[総合格闘技]]で採用されている。
 
オープンフィンガーグローブは手を被う部分が限定的であるため、価格はボクシンググローブに比べ割安となっている。また製作の際には市販の[[手袋]]生産のノウハウが流用できるため、生産しているメーカーも[[ボクシンググローブ]]より幅広い。オープンフィンガーグローブと呼ばれるなかでも、とくに[[修斗]]で使われだしたオープンフィンガーグローブのことを、シュートグローブと呼ぶことがある。