「火炎瓶」の版間の差分

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(使用された事件)
{{出典の明記|date=2014年9月}}
[[File:Molotovin cocktail.jpg|thumb|200px|[[冬戦争]]で[[フィンランド]]が使用した火炎瓶]]
'''火炎瓶'''(かえんびん、'''火焔瓶'''とも表記)は、[[瓶]](主に[[ガラス]]製)に[[ガソリン]]・[[灯油]]などの可燃性の液体を充填した、簡易な[[焼夷弾]]の一種である。[[冬戦争]]における故事から、「'''モロトフ・カクテル'''(Molotov Cocktail)」とも呼ばれる(「[[モロトフ火炎手榴弾]]」の項目を参照)
 
原始的な[[爆弾]]の一種とも言われるが、[[炎上]]はしても[[爆発]]はしない。そのため現在の[[日本法|日本の法律]]では爆弾とはみなされず、「'''火炎びん'''」という独自の[[カテゴリ]]になっている。
本格的に使用された初の戦争は[[1936年]]からの[[スペイン内戦]]とされる。[[1939年]]の[[ノモンハン事件]]の際には[[大日本帝国陸軍|日本軍]]の対戦車兵器として使用され、[[サイダー]]瓶を使った[[手投火焔瓶|急造火炎瓶]]を肉薄して戦車に投げつけ対抗した。[[赤軍|ソ連赤軍]]の主力であった[[BT戦車]]は[[ガソリンエンジン]]だった上、車体の塗装に使われた[[ペンキ]]に[[引火性]]があり、火炎瓶で攻撃すると容易に動力部まで引火し炎上した。しかし肉薄攻撃を強いられるために損害も大きく、赤軍が戦車を無塗装にするなどの対策を取り始めると戦果は落ちていった。そもそもソ連側の損害は主に[[九四式37mm速射砲]]によるものであり、火炎瓶は擱座した戦車に止めを差す形で使用されることが多かった。日本軍の使用する[[対戦車地雷|地雷]]や[[手榴弾]]、火炎瓶は梯形隊形で攻撃するソ連戦車には大きな脅威とはならなかったとされる<ref>{{Cite book|和書|author=マクシム・コロミーエツ、鈴木邦宏(監修)、小松徳仁(翻訳)|title=ノモンハン戦車戦―ロシアの発掘資料から検証するソ連軍対関東軍の封印された戦い(独ソ戦車戦シリーズ)|year=2005|publisher=[[大日本絵画]]|isbn=978-4-499228-88-6|page=127}}</ref>。ノモンハンの戦訓から、以後赤軍の開発する戦車は[[ディーゼル機関]]化され、のちの第二次世界大戦に役立つことになる。
 
[[Image:Molotov bread basket.jpg|right|thumb|「{{仮リンク|モロトフのパン籠|en|Molotov bread basket}}」ことソ連の収製RRAB-3集束爆弾コンテナ]]
同年末の[[冬戦争]]の際にも[[フィンランド国防軍|フィンランド軍]]が対戦車兵器として使用した。当時のソ連外相[[ヴャチェスラフ・モロトフ|モロトフ]]は、[[国際連盟]]でソ連の[[絨毯爆撃|無差別爆撃]]について追及された際に「[[資本主義]]に搾取されるフィンランド人民のために[[赤軍|ソ連軍]]は[[パン]]を投下している」と強弁したことがあった。このため、ソ連軍のRRAB-3収束焼夷弾コンテナが「モロトフのパン籠」と揶揄された(写真)。そして、火炎瓶は「パン籠」に対するフィンランド人民からのお礼の[[カクテル]]の意味で「モロトフ・カクテル」と名づけられ、以降火炎瓶の代名詞となった<ref>{{Cite web |author= |date= |url= https://www.nytimes.com/1986/11/20/opinion/l-how-the-molotov-cocktail-got-its-name-085186.html|title=How the Molotov Cocktail Got Its Name |website=NYTimes.com |publisher= |accessdate=2018-10-22}}</ref>
 
[[File:Kaenbin.jpg|thumb|[[成田国際空港|新東京国際空港]]の[[成田空港問題|反対運動]]([[三里塚闘争]])でも火炎瓶は用いられた([[成田空港 空と大地の歴史館]])]]
兵器・武器
* [[手投火焔瓶]] - [[大日本帝国陸軍]]の制式[[武器]]。
* {{仮リンク|No.76特別焼夷手榴弾|en|No. 76 Special Incendiary Grenade}} - イギリス製の手榴弾。
法令等
* [[火炎びんの使用等の処罰に関する法律]]