「浅草公園六区」の版間の差分

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[[1951年]](昭和26年)浅草寺本堂再建のためにランドマークであった通称「瓢箪池」(古瓢箪池を含む)が埋め立てられ、跡地に[[1952年]](昭和27年)[[東京楽天地|浅草楽天地]]の映画館「浅草宝塚劇場」と[[1954年]](昭和29年)遊園地「楽天地スポーツランド」<ref>[http://www.rakutenchi.co.jp/outline/pdf/ir/other09.pdf 東京楽天地浅草再開発計画について]東京楽天地(2012年4月13日付)</ref>、[[1959年]](昭和34年)[[東急グループ]]の複合娯楽施設「新世界ビル」が建つ。また、1954年に観音本堂から六区興行街までの間が西参道商店街として整備される<ref>[http://www.asakusaomatsuri.com/商店街概要/ お祭り商店街西参道]浅草西参道商店街振興組合(2017年12月9日閲覧)</ref>。
 
1950年代後半に最盛期を迎えた浅草六区も[[高度成長期]]と呼ばれた1960年代に入り、テレビ時代を迎え[[1964年]](昭和39年)の[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]以降[[新宿]]、[[渋谷]]、[[六本木]]、[[池袋]]等の方面に若者の文化が芽生え、急激な地盤沈下を迎える。若者世代の嗜好と合わなくなった映画館・劇場は悉く閉鎖され、[[1974年]](昭和49年)新世界の跡地には[[ウインズ浅草]]が造られ、以後平日は通行人がまばらで週末は競馬目当ての客のみが集中する光景が多くなった。夜間は19時になると人通りも疎らになり、不夜城と詠われた嘗ての殷賑振りとは隔世の感がある。
 
[[1986年]](昭和61年)複合商業施設「[[浅草ROX]]」が開業、[[1988年]](昭和63年)に映画『[[異人たちとの夏]]』のロケ舞台、[[2003年]](平成15年)[[連続テレビ小説|NHK朝の連続テレビ小説]]『[[こころ (2003年のテレビドラマ)|こころ]]』の舞台にもなった。この頃から公園六区の斜陽に歯止めを掛けるべく、地元の「浅草おかみさん会」等の下支え等により次第に復調の兆しを見せていた<ref>[http://www.waseda.jp/sem-muranolt01/Survey2002/ch2.pdf 台東区]早稲田大学文学学術院</ref>。