「貨幣学」の版間の差分

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[[File:Gold_koban_050918_163404.jpg|thumb|right|200px|[[慶長小判#武蔵墨書小判|武蔵墨書小判]]]]
その後、統一政権である[[豊臣秀吉]]が[[天正大判]]を鋳造させたが、一般流通用というより、恩賞の意味が大きかった。[[貨幣制度]]を整備するまもなく、豊臣政権は崩壊し、[[江戸幕府]]によって本格的な貨幣制度が整備された。幕府は[[小判]]や[[丁銀]]をはじめとする様々な種類の[[金貨]]、[[銀貨]]を流通させるとともに、[[銭貨]]として[[寛永通宝]]を鋳造した。それまでの渡来銭を完全に駆逐できるだけの質と量の貨幣を鋳造できた。また、地方における[[藩札]]、更に[[幕末]]期にかけて[[丁銀]]、[[豆板銀]]、[[一分銀]]や[[小判]]等が流通し始める。[[日露戦争]]が始まった頃から、軍事用途として使用された[[軍票]]などの紙幣が見られたが、その後の[[第二次世界大戦]]では軍資金重視の為、硬貨に[[アルミ]]や銅などの極めて安価な素材が使用されるようになり、戦争の歴史を色濃く浮き立たせている。[[1964年]]の[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]より[[記念硬貨]]の発行が行われるようになり、その後[[天皇]]の即位、成婚や国際[[博覧会]]の開催を記念したものなどが発行されている。
 
近年では[[奈良県]]他で[[1999年]]に多数発見され、日本最古の貨幣ではないかと物議を醸した[[富本銭]]の存在や、[[日本書紀]]中の[[無文銀銭]]についての記述など、古銭の歴史に関しては研究が続けられている。[[2000年]]には[[ミレニアム]]を記念して[[2000円紙幣]]を発行したが、[[自動販売機]]や[[現金自動預け払い機|ATM]]などの新紙幣への対応が間に合わなかったことや、際立った必要性の無さなどから多くの批判が噴出した。さらにその後、[[複合機]]などの[[デジタル]]技術の進歩に伴い、紙幣の模造が比較的容易になったため、[[偽札]]の製造が相次いだ。そのため、最先端の偽造防止技術を駆使した新[[500円硬貨]]が[[2000年]]に、1000円、5000円、10000円の各新紙幣が[[2004年]]に発行開始されるなどした。この新たな5000円紙幣の肖像には[[樋口一葉]]が描かれ、日本の紙幣史上において2人目の女性となった。しかしながら既に新500円硬貨の偽造硬貨が一部で出回るなどし、政府の新たな技術進歩への対策を定期的に差し迫られる状況は依然続くと見られる。一方でデジタル技術の波及は貨幣のあり方そのものを変化させており、[[Edy]]などを始めとする[[おサイフケータイ]]、[[電子マネー]]などの新たな貨幣形態は経済学的な側面からの研究も進められている。