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=== 陵墓および陵墓参考地 ===
「[[大仙陵古墳]]」や「[[誉田御廟山古墳]]」をはじめとする「[[陵墓]]」は、[[宮内庁]]が管理し、現在も[[皇室]]による祭祀が行われている。そのため研究者が自由に立ち入って調査することができない<ref>2008年2月22日、宮内庁が管理する神功皇后陵([[五社神古墳]])に[[日本考古学協会]]など16学会の研究者代表らが墳丘に立ち入り調査をした。「陵墓」に学会側の立入が認められたのは初めて。(2008年2月23日「朝日新聞」)</ref>。宮内庁により管理・保存が講じられているため、史跡等の指定の対象とされていない。このことについては、考古学研究者、歴史研究者からの根強い批判がある<ref>森(1996)。</ref>。
 
== 史跡での復元 ==
史跡での復元事業を行う場合は文化庁の許可が必要であり、文化庁は先史時代(縄文・弥生)の史跡については比較的、緩やかな基準であるが、中世以降の社寺や城郭などの史跡の復元に関しては絵図面や図面、古写真やその他の工事の記録文書などの客観的な資料が発見される可能性がある為、文化財保護の立場での要件を厳しくした[[1967年]](昭和42年)以降は厳しい基準で臨んでおり、復元するに足る資料を集めて復元建造物の外観だけでなく、内部構造なども史実に基づ復元が求めらている<ref>[http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_07/series_15/series_15.html 文化庁 文化庁月報 連載 「文化財行政の現代的な課題 」- 史跡の現地保存,凍結保存,及び復元について]</ref>
。史跡指定の天守閣復元に関して戦災で失った小田原城、名古屋城、熊本城、若松城などが戦後復興で外観復元による鉄筋コンクリート造りで建てられたが1967年(昭和42年)以降はこのような鉄筋コンクリート造りなど史実に基づかない忠実でない復元はなされていない。1967年(昭和42年)以降行われた史跡での復元は平城宮跡「朱雀門」や首里城跡の正殿正や金沢城などであり、資料から史実に基づく精度の高い図面から復元する事が求められた。
 
== 脚注 ==
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