「シュテファン・エバーハーター」の版間の差分
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== 来歴・人物 ==
=== 衝撃の世界選手権デビュー、度重なる怪我との闘い ===
[[1987年]]にジュニア世界選手権に出場したエバーハーターは、翌[[1988年]]にオーストリアのナショナルチームの一員となる。[[1990年]]シーズンに[[アルペンスキー・ワールドカップ|ワールドカップ]]デビューを果たすと、翌[[1991年]]に[[ザールバッハ]]で開催された[[アルペンスキー世界選手権]]で[[スーパー大回転]]と[[アルペンスキー複合|複合]]の2種目制覇を果たす。翌[[1992年
その後、3月のワールドカップでスーパー大回転で2位に入るなど復調の兆しを見せていたエバーハーターだったが、同年12月に[[ヴァル・ガルデーナ]]での滑走中、左膝に大怪我を負う。この手術のため[[1994年]]シーズンは欠場し、[[1995年]]シーズンにはナショナルチームからも外された。
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[[1996年]]シーズンに復帰したエバーハーターは、再びワールドカップの舞台へと戻るためヨーロッパ選手権に復帰した。同年の世界選手権([[シエラネバダ山脈 (スペイン)|シエラネバダ]])ではナショナルチームに所属せずの参加となった<ref>前回王者としてのシード。</ref>が、連覇のかかったスーパー大回転では途中棄権した。
[[1997年]]冬、エバーハーターはワールドカップへの復帰を果たす。だが、エバーハーターが不在の間にオーストリアのアルペンスキー界では新鋭[[ヘルマン・マイヤー]]が台頭していた。翌[[1998年
=== 「永遠の二番手」返上、世界の頂点へ ===
久しくマイヤーの陰に隠れ、「永遠の二番手」という印象が強くなっていたエバーハーターだったが、思わぬチャンスが訪れる。2001年8月、マイヤーがオートバイ事故で重傷を負い、翌シーズン、更には[[2002年ソルトレ
マイヤーの不在、さらには回転で期待された[[マリオ・マット]]も1月の負傷で欠場したことから、ソルトレイクではオーストリアのエースとして期待が集まった<ref>「エベルハルター、『永遠の2番手』返上へ - ソルトレーク冬季五輪」[[朝日新聞]]、2002年2月16日付朝刊。</ref>。最初の種目、滑降では[[銅メダル]]、続くスーパー大回転では10分の1秒差でオーモットに敗れ銀メダルに終わるも、最後の種目となった大回転で[[ボディー・ミラー]]を破り[[金メダル]]を獲得した。この時既に32歳であり、年齢的にもこの五輪がラストチャンスであったことから、「'''この金メダルは僕にとって特別な意味がある'''」とコメントした<ref>「エベルハルター遅咲きV」朝日新聞、2002年2月23日付朝刊。</ref>。
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