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{{MedalCompetition|[[オリンピックのアルペンスキー競技|オリンピック]]}}
{{MedalGold|[[2002年ソルトレクシティオリンピックにおけるアルペンスキー競技|2002]]|男子大回転}}
{{MedalSilver|[[1998年長野オリンピックにおけるアルペンスキー競技|1998]]|男子大回転}}
{{MedalSilver|[[2002年ソルトレクシティオリンピックにおけるアルペンスキー競技|2002]]|男子スーパー大回転}}
{{MedalBronze|[[ソルトレイクシティオリンピックにおけるアルペンスキー競技|2002]]|男子滑降}}
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{{MedalGold|[[1991年アルペンスキー世界選手権|1991]]|男子スーパー大回転}}
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== 来歴・人物 ==
=== 衝撃の世界選手権デビュー、度重なる怪我との闘い ===
[[1987年]]にジュニア世界選手権に出場したエバーハーターは、翌[[1988年]]にオーストリアのナショナルチームの一員となる。[[1990年]]シーズンに[[アルペンスキー・ワールドカップ|ワールドカップ]]デビューを果たすと、翌[[1991年]]に[[ザールバッハ]]で開催された[[アルペンスキー世界選手権]]で[[スーパー大回転]]と[[アルペンスキー複合|複合]]の2種目制覇を果たす。翌[[1992年]]の[[アルベールビルオリンピック]]は、エントリー後の怪我で欠場を余儀なくされ、同年秋にはオートバイ事故で[[鎖骨]]を骨折する。その結果、[[1993年]]に[[雫石町|雫石]]で開催された[[1993年アルペンスキー世界選手権|世界選手権]]では複合の連覇を逃した(スーパー大回転は悪天候のため中止)。
 
その後、3月のワールドカップでスーパー大回転で2位に入るなど復調の兆しを見せていたエバーハーターだったが、同年12月に[[ヴァル・ガルデーナ]]での滑走中、左膝に大怪我を負う。この手術のため[[1994年]]シーズンは欠場し、[[1995年]]シーズンにはナショナルチームからも外された。
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[[1996年]]シーズンに復帰したエバーハーターは、再びワールドカップの舞台へと戻るためヨーロッパ選手権に復帰した。同年の世界選手権([[シエラネバダ山脈 (スペイン)|シエラネバダ]])ではナショナルチームに所属せずの参加となった<ref>前回王者としてのシード。</ref>が、連覇のかかったスーパー大回転では途中棄権した。
 
[[1997年]]冬、エバーハーターはワールドカップへの復帰を果たす。だが、エバーハーターが不在の間にオーストリアのアルペンスキー界では新鋭[[ヘルマン・マイヤー]]が台頭していた。翌[[1998年]]の[[長野オリンピック]]ではスーパー大回転で棄権し、[[大回転]]こそ[[銀メダル]]を獲得するもマイヤーに敗れた。シーズン最終戦となった3月14日の[[クランモンタナ]]大会の大回転でワールドカップ初優勝を挙げ、自己最高の総合3位入賞を果たすも、優勝はマイヤーであった。その後のワールドカップでも、[[1999年]]シーズンは4位、[[2000年]]シーズンは6位、[[2001年]]シーズンは2位といずれもマイヤーの後塵を拝し総合優勝を逃すことになる<ref>マイヤーの総合成績はそれぞれ3位、優勝、優勝。</ref>。2001年の世界選手権([[サンクト・アントン・アム・アールベルク]])ではスーパー大回転で[[ダロン・ラルベス]]に次ぐ銀メダルを獲得した。
 
=== 「永遠の二番手」返上、世界の頂点へ ===
久しくマイヤーの陰に隠れ、「永遠の二番手」という印象が強くなっていたエバーハーターだったが、思わぬチャンスが訪れる。2001年8月、マイヤーがオートバイ事故で重傷を負い、翌シーズン、更には[[2002年ソルトレクシティオリンピック]]も欠場することとなったのである。[[2002年]]シーズンのワールドカップ、エバーハーターは[[滑降]]とスーパー大回転で種目別優勝を果たす。総合成績でも2位の[[チェーティル・アンドレ・オーモット]]を600ポイント以上も引き離す圧勝で、初のワールドカップ制覇を成し遂げた。
 
マイヤーの不在、さらには回転で期待された[[マリオ・マット]]も1月の負傷で欠場したことから、ソルトレイクではオーストリアのエースとして期待が集まった<ref>「エベルハルター、『永遠の2番手』返上へ - ソルトレーク冬季五輪」[[朝日新聞]]、2002年2月16日付朝刊。</ref>。最初の種目、滑降では[[銅メダル]]、続くスーパー大回転では10分の1秒差でオーモットに敗れ銀メダルに終わるも、最後の種目となった大回転で[[ボディー・ミラー]]を破り[[金メダル]]を獲得した。この時既に32歳であり、年齢的にもこの五輪がラストチャンスであったことから、「'''この金メダルは僕にとって特別な意味がある'''」とコメントした<ref>「エベルハルター遅咲きV」朝日新聞、2002年2月23日付朝刊。</ref>。