「ムスリム同胞団」の版間の差分

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=== 穏健化 ===
ナーセル政権下の同胞団内部ではクトゥブ主義が広まりかけたが、[[1970年]]にナーセルが死去する。第3代大統領に就任したサーダートはイスラム復興運動を容認し、多くの同胞団員たちを解放した<ref name=jiia/>。サーダーは権力基盤を強めるために同胞団を懐柔し、同胞団はサーダーの正当性を受け入れ、非合法にもかかわらず公然と活動するようになる<ref name=co-optation>[http://www.e.yamagata-u.ac.jp/~oshiro/paper/cooptation_presentation.pdf ムスリム同胞団とコオプテーションの政治]</ref>。1970年代にはイスラーム復興主義が興隆し、同胞団は再び求心力を得た。第3代最高指導者[[ウマル・ティリムサーニー]](在任1973-86)は組織を再建し、同胞団は社会奉仕活動を再開した。クトゥブ主義者は同胞団から排除され、追放された元同胞団員は[[ジハード団]]・[[イスラム集団]]など多くの分派を作った<ref name=jiia/>。これ以降、同胞団は大衆運動によるイスラム国家の実現を目指し、[[1976年]]には[[機関誌]]「'''ダーワ'''(呼びかけ)」が復刊され、大衆からの支持も拡大した<ref>[[#島崎|島崎(2005)p.195]]、[http://books.google.co.jp/books?id=b2Ydh4kKdh8C&pg=PA71&dq=%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%A0%E5%90%8C%E8%83%9E%E5%9B%A3&hl=ja&ei=ZXtXTb2sB4iavAPd8NGfBQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=7&ved=0CEMQ6AEwBg#v=onepage&q=%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%A0%E5%90%8C%E8%83%9E%E5%9B%A3&f=false 「エジプト過激派問題」]</ref>。
 
ートは1978年の[[キャンプ・デービッド合意]]によって[[エジプト・イスラエル平和条約]]を結び、同胞団とサーダー政権の関係が悪化する。1981年にサーダーは反体制派勢力を大量逮捕し、同胞団員も多数逮捕されたが、同胞団の合法活動路線は堅持された。同年、ジハード団によってサーダートが暗殺され、副大統領だったムバーラクが大統領に就任する。ムバーラク政権下でも同胞団は合法的・段階的・穏健的な路線を継続した<ref name=jiia/>。ムバーラク政権は[[合法的支配]]に頼る面が大きく、権力基盤を強化するために様々な政治勢力との政策協議「国民対話」を開催した。しかし、同胞団は警戒され、「国民対話」の蚊帳の外に置かれた<ref name=co-optation/>。
 
=== 政治参加 ===