「エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス」の版間の差分

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第三身分出身。[[フレジュス]]にて徴税人の子として生まれる。[[ドラギニャン]]のセミナリオで学ぶ。父親の勧めで聖職者となり、'''[[アベ (カトリック教会の聖職)|アベ]]・シエイエス'''(Abbé Sieyès)とも呼ばれる<ref>[http://www.geocities.jp/teiju3/sub07_03.html フランス革命]</ref>。1788年オルレアン州議会の聖職階級議員となり、政治にも関与している。この年に『特権論』を発表している<ref>フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅲ フランス革命ー世界大戦前夜 原書房 2005年 2ページ</ref>。
 
1789年1月刊行の著書『[[第三身分とは何か]]』において「フランスにおける第三身分(平民)こそが、国民全体の代表に値する存在である」と訴え、この言葉が[[フランス革命]]の後押しとなった<ref>{{Cite book |和書 |author=シィエス |translator =[[稲本洋之助]]、[[伊藤洋一]]、[[川出良枝]]、[[松本英実]] |year=2011 |title=[[第三身分とは何か]] |publisher=[[岩波書店]] |series=[[岩波文庫]] |isbn=978-4003400616}}{{Cite book |和書 |author=エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス |translator =[[薬師院仁志]] |year=2009 |title=[[第三身分とは何か|[新訳]第三身分とは何か]] |publisher=[[PHP研究所]] |isbn=978-4569704906}}</ref>。1789年6月17日、[[憲法制定国民議会|国民議会]]を設立した。8月には貴族の特権が廃止された。シエイエスは、貴族に補償金を払うべきと提案するが、他の第三身分議員から却下された。フランス革命初期に活躍。[[ジャコバン派]]が権力を握った[[恐怖政治]]の時代には[[逼塞]]して生き延びた。「革命のモグラ」の異名を持つ。1795年に[[公安委員会 (フランス革命)|公安委員会]]委員になり、政界に復帰し、[[国民公会]]委員長になった。しかし、[[総裁政府]]に入るのは拒否した。その後プロイセン全権大使を務め、1799年にフランスにもどった<ref>フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅲ フランス革命ー世界大戦前夜 原書房 2005年 4ページ</ref>。
 
総裁政府の末期に[[総裁]]の1人に就任。強力な政府の樹立のため、軍隊に人気のある[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]に接近して[[ブリュメール18日のクーデター]]を起こす。クーデター成功により臨時[[統領]]の1人に就任するが、[[統領政府]]を樹立する過程で、軍事力を有するナポレオンに主導権を奪われ、実権のない[[護憲元老院|元老院]]議長に棚上げされた。[[1808年]]帝国伯爵位を与えられる。